2023年8月の東南アジア旅行に続いて10月に行ったベトナム旅行記です。今回は前回と打って変わって弾丸旅行です。(といっても前回も結果論ですが弾丸旅行だったような気もしますが…)
ベトナム統一鉄道に乗ってみる
さて、今回は見出しの通り、ベトナム北部のハノイから南部のホーチミンシティまでを走るベトナム統一鉄道に乗ってみることが旅行のテーマです。前回の記事にも書きましたが、この頃は香港からシンガポールまでのルートを一通り飛行機を使わずに移動してみる、というのを目標にしていました。前回ペナンからバンコクまで寝台列車で移動したのを含め、主要な走破済みルートは以下の地図の4ルートとなります。
南から順に書くと以下のようになります。
- (緑色)香港~深圳~南寧~ハノイ:2016年
- (オレンジ)ヴィエンチャン~ノーンカーイ~バンコク:2023年
- (青色)ペナン~バターワース~バンコク:2023年
- (水色)シンガポール~マラッカ~クアラルンプール:2019年
さて、ここで当初の目標である香港からシンガポールまでの完全走破を達成しようとすると、残っているのは点線で地図に描いたクアラルンプール~バターワース間と、インドシナ半島内を縦断するルートになります。インドシナ半島の縦断はこれまでの走破済みルートを考えると、比較的容易なルートとして、
- 南寧~昆明~ボーテン~ヴィエンチャン
- ハノイ~ホーチミンシティ~プノンペン~バンコク
というルートが考えられます。1前者の南寧から高速鉄道で雲南省の省都、昆明を経由してそのままラオス側の高速鉄道に入りヴィエンチャンに至るルートも大変楽しそうではあるのですが、2023年10月時点ではまだ日本人の観光目的での中国入国にはビザが必要であったことや、まだ開業したばかりのラオス高速鉄道は当日の発券で乗車するのは難しいと聞いていたことから短期間でこのルートを走破するのは難しいと考えました。というわけで、今回は後者のルートのうち、ベトナム領内、ハノイからホーチミンシティの移動を鉄道でしようと決めたのでした。というわけで、今回は以下のような旅程で旅行しました。
日付 | 場所 |
10月6日 | 成田→ハノイ |
10月7日 | ハノイ→寝台列車に乗車 |
10月8日 | フエ着/発→寝台列車に乗車 |
10月9日 | ホーチミンシティ着/発 |
10月10日 | 羽田着 |
ハノイからホーチミンシティまでを短時間で走破するために、2日連続で寝台列車に乗車する旅程になっています。といっても、2018年に乗ったシベリア鉄道・ウラジオストク~モスクワ間はほぼ1週間丸ごと列車に乗り続けていましたから、それに比べれば大したことはありません。今回もハノイから途中下車せずにホーチミンシティに向かうこともできましたが、ホーチミンシティもすでに何度も訪問していますし、せっかくなのでベトナム中部の都市、フエで途中下車する旅程としました。10月7日の夕方にハノイを出て、翌朝にフエに到着、日中はフエを観光してまた夕方の寝台列車に乗ってホーチミンシティへ行く計画です。こう書くと結構ハードな旅程に見えますが、日中のみの滞在のフエについても安いホテルをデイユースで使わせてもらうことで一旦休憩したりすることもできたため、意外と無理なく旅行できました。
まずはハノイへ
今回は10月のスポーツの日を含む3連休を活用しての旅行ということで、3連休の前日、金曜日に会社を早退して成田からハノイ・ノイバイ国際空港へと向かいました。
空港からはGrabタクシーで市街地へ移動しました。新たに開店したショッピングモール、ロッテモール・ウエストレイクの前を通ったり、ベトナムのファミリーカーこと125ccのバイクに家族4人(!)で乗っている姿を見たりしながらホテルのあるハノイ旧市街へと向かっていったのでした。
今回はハノイの旧市街の中心部にホテルを取りました。旧市街中心部は観光客向けのバーやレストランが連なっていて、夜になると道路にレストランのテーブルと椅子が出てきて車が入っていくことができません。そんなわけである程度車で近づいたらそこからは徒歩でホテルに向かうことになります。が、しかし、ホテルの地図の場所にはたどり着いているはずなのに、なかなかホテルが見つかりません。同じブロックを何周かして、ようやくホテルへつながる細い路地を発見することができました。一度わかってしまえばどうということはないのですが、奥の明るい部屋が見えている建物がホテルなのでした。
ターヒエン通りでビール
ホテルに無事チェックインした後は旧市街の中でも随一の飲み屋街であるターヒエン通りでビールを飲みつつ晩ごはんにすることにしました。
早速適当なレストランの路上のテーブルに陣取ってビールです。おつまみに手羽先をオーダーしたらニョクマム(ベトナム魚醤)で甘辛く味付けされていました。
早起きしてホーチミン廟へ行く
翌朝はホーチミン廟へ向かうべく、朝6時にホテルを出ました。いつもは賑やかな旧市街も、さすがに朝6時となると人通りもなく静かです。
というわけでGrabタクシーに乗ってホーチミン廟にやってきました。ホーチミン廟は朝7時の開場ですが、入場の列がかなり長くなる場合もあるという話を聞いていたので早めにやってきたのでした。
ホーチミン廟は名前の通りベトナム建国の父、ホー・チ・ミン氏の遺体を安置している墓廟です。ハノイは2013年、2016年、2023年のGWとこれまでに3回訪問していますが、2013年は9月の訪問だったために遺体の補修のための閉館期間とぶつかり、2016年は行こうとしていた滞在最終日が定休日であることが判明して行けず、2023年もメーデーでお休みで行けずと、ことごとく訪問のチャンスを逃してしまっていました。訪問のチャンスを逃している間に、その他の有名な墓廟であるレーニン廟と毛主席紀念堂には行ってしまいました。2そんなわけで、今回のホーチミン廟訪問にはちょっと気合が入っていたのでした。
ホーチミン廟の入り口に着いた時はまだ順番待ちの列ができていなかったので、入ったところの広場をぶらぶらしながら待っていました。入口の売店兼カフェテリアには新型コロナウイルスへの対策を呼び掛けるポスターが貼られていましたが、いかにもベトナムという感じのポスターデザインに仕上がっていて感心してしまいました。
しばらくすると荷物検査場の扉が開き、係員が整列するようにアナウンスをしたので私も並ぶことにしました。いろいろとユルいベトナムではありますが、さすがにここの警備体制は結構厳重です。
さらに少し待つと荷物検査場に案内されました。検査の後、奥の通路に沿ってしばらく歩くと、衛兵が待っているエリアにたどり着きます。そこからは衛兵の案内でホーチミン廟の正面まで移動し、建物の中に入っていきます。そしてホー・チ・ミン氏の遺体をぐるっと囲むように設置された通路を通って、再度建物の外に出てくるという流れです。レーニン廟や毛主席紀念堂と同じく、建物の中には厳粛な雰囲気が漂っていました。
ホーチミン廟の見学を終えて出てくると、広場には兵隊さんが整列していました。何かのイベントでしょうか?
ハノイ工科大学へ行く
ホーチミン廟からホテルに戻り、一休みした後はハノイ工科大学に行きました。ハノイ工科大学は2013年に私がインターンで1か月滞在していた大学になります。
5月の訪問時はメーデーでお休みだったため構内に入ることができませんでしたが、この時は構内に入ることができました。インターンの時には無かった新しいきれいな建物が建っていて、時の流れを感じました。
そしてこちらがターカンビュー・ライブラリビルディングという図書館棟です。ここでインターンをしていました。以前は目の前に石が噴き上がっているような噴水があったのですが、跡形もなく撤去されていました。
ちなみにこの時はたまたまSTEMフェスティバルなるイベントが開催されていて、このビルの目の前でペットボトルロケット大会が開かれていました。
また、近くの教室棟のあたりを歩いていると、学生さんたちが何かロボットを競わせていました。最初は相撲ロボットかなと思ったのですが、何かを運ぶスピードを競うタイプのロボコンのようでした。その場で調整したりしている学生さんや、バトルの行方を見守る学生さんなどで賑わっていました。こういうイベントは見ているだけでも楽しいですね!
これも以前はなかったと思うのですが、教室棟の1階の通路のところにコーヒーの自販機が設置されていました。結構構内が広く、コーヒーのあるようなカフェはそこそこ遠いので便利かもしれません。
一方でこのバイクの山は相変わらずです。本当にずらーっと並んでいます。
電子部品店に行ってみる
ハノイ工科大学を久々に訪問した後は近くの電子部品店”3M Electronic Component”を訪問してみることにしました。ハノイ工科大学でインターンをしていた頃は、5月に訪問したレータンギー通りが電気街であることは把握していたのですが、電子部品店があることは把握していませんでした。ちなみにこの時は電子部品店を見に行くという目的ももちろんあったのですが、寝台列車内でのスマートフォンの充電用にUSBのTypeA-TypeCケーブルが欲しく、それを探しに行くという目的もありました。
こちらのお店は基本的にカウンターの店員さんにお願いして部品を取ってもらうスタイルのお店でした。壁にかかっているセンサーの評価ボードのサンプルや、カウンターの向こうに見える電子部品の棚がなかなかいいですね。
もう一軒、次に紹介する麺料理を食べた後に訪問したのが”Electronic Components Minh Ha”です。こちらもハノイ工科大学のそばにあります。
こちらの店舗はやや広く、テスターやテープLEDなどを中心に手に取って見ることができる商品棚がいくつかありました。
細かい部品はご覧の通り、店員さんにお願いして奥の部品棚からピックアップしてもらう方式のお店です。なかなか整然と並んでいて壮観です。
ちなみにこちらの電子部品店のすぐそばにはDai Co Viet(ダイコーヴィエット)という大通りが通っています。ここは交通量が多く、バイクの波がこれまた壮観なのでした。
ハノイの麺料理を堪能する
ハノイ工科大学と電子部品店を見た後は寝台列車でハノイを離れる前にハノイ名物を食べておこうと、まずはフォー3の名店、Pho Thin(フォーティン)へと向かいました。フォーティンは東京にも支店があるのでご存じの方も多いかもしれません。
ベトナムらしい細長い建物の中に入ると、まだ11時前だというのにテーブル席は満席です。私は一人だったので左側の細いカウンターに通されました。
そして食べたのはこちら、定番の牛肉フォー、フォーボーです。このお店はネギだくでサーブされるのが特徴のようです。言うまでもないですが牛の旨味のあるおいしいフォーでした。
フォーティンでフォーを堪能したのですが、まだまだ食べられるなということでもう一つのハノイ名物の麺料理、ブンチャーを食べるべく「オバマのブンチャー」ことBun Cha Huong Lien(ブンチャーフォンリエン)に行きました。上の写真の通り、アメリカのオバマ元大統領が大統領在任中にベトナムを訪問した際に訪れたことで有名なブンチャーのお店です。5月のベトナム訪問時はもう一つの有名店、Dac Kim(ダックキム)に行ったので、今回はこちらにしてみました。ちなみにこのお店自体は2016年にも現地の友人の案内で訪問しています。
今回はまだ午前中ということもあり、ビールの付いてくるオバマコンボではなく、プレーンなブンチャーとカニ春巻きのセット(といってもビールが付いてこないだけでオバマコンボと同じ内容ですが)にしました。牛肉のフォーと打って変わって、こちらは炭焼きの豚肉と甘めの付けダレ、そして山盛りの香草のバランスがまたおいしいのでした。
旧市街を歩く
ハノイの麺料理を堪能した後は旧市街を散歩しました。この時はベトナム名物のかごバッグを買うというテーマもあり、旧市街のいろいろなお店が連なる通りをフラフラと歩きました。ハノイの旧市街は通りごとに金物屋、服屋、文具店など、同じカテゴリーのお店が集まっているのが特徴です。通りごとにいろいろなキャラクターがあるので目的がなくても歩いていると結構楽しいのでした。
しばらく歩いたところで喫茶店に入り休憩です。店の隅ではベトナムコーヒーを淹れていました。カップの上に載っている缶の底にコーヒーの粉を詰めてドリップするベトナム独特の方式のドリッパーなのですが、コーヒーカップの上に載るサイズのドリッパーは見たことがあったものの、こんな大型のドリッパーもあるとは知りませんでした。確かにお店だとこういう大型のドリッパーが必要ですよね。
ベトナムのカフェはだいたい半屋外といった感じになっています。通りを行き交う人々やバイクを眺めながらのんびりするのがベトナムのカフェの楽しみ方という気がします。
コーヒーの話を書いておきながらなんですが、この日はなかなか暑かったのでコーヒーではなくマンゴーのシントーをオーダーしました。くるくるストローは果たして要るのか?という疑問は禁物です。
ちなみにハノイの旧市街の端にはこのような門があります。城下町とその外を隔てる門が今も残っているというわけです。このエリアの歴史を感じるちょっとしたスポットの一つです。
特段買いたいものがあるわけでもないですが、せっかくなのでハノイで一番の市場、ドンスアン市場にも行きました。ちなみに”10.10″と描かれたポスターは1954年10月10日にフランス軍が撤退しハノイが解放された出来事を記念するものでした。
市場の内部は10年前から相変わらずのごちゃごちゃ度合いでした。権利的にアウトそうなものまで売ってるところまで変わらないのは果たしていいことなのかどうか…
新名所・ロッテモールウエストレイクへ行く
旧市街をぶらぶらした後は、空港から旧市街に移動する際に見かけた新名所、ロッテモールウエストレイクへ行ってみることにしました。ウエストレイクの名前の通り、旧市街の北側にある西湖(ホータイ)エリアにできた、ロッテグループの大型ショッピングモールです。
ベトナムの大型ショッピングモールというと、これまで何度も取り上げているヴィンコムセンターが真っ先に思い浮かびますが、ここのロッテモールはヴィンコムセンターよりは少し高級路線のような雰囲気を感じました。まあ、ヴィンコムセンターもベトナムの水準から行くと十分高級路線のような気もしますが…
モールの中を歩いていたらなんとキッザニアがありました。さすがはベトナムだけあって、ベトナム航空の職業体験が目玉のようです。
レストラン街も見て回ったのですが、お皿が縦に積まれた状態で回転寿司が回っていて衝撃を受けました。日本の回転寿司が特急レーンなどを使って「回さない」方向に変化している裏で、ベトナムでは回転寿司が縦方向に積層される進化を遂げていたのでした。
タンロン城跡を見学する
ロッテモールウエストレイクから戻ってきた後は、ホーチミン廟に続きハノイのベタな観光スポットなのに行ったことがなかったタンロン城跡へ行きました。タンロン城跡はベトナムの王朝であるグエン朝が中部のフエに遷都するまでの約800年間、ベトナムの国王の居城があったエリアです。その歴史から、タンロン城跡は世界文化遺産に登録されています。徐々に寝台列車の時間が近づいてきていましたが、入場料を払って駆け足でタンロン城跡を観光しました。
入り口から庭園の中を歩いて行くとこちらの門が見えてきます。10月の頭の訪問ということもあり、右側には中秋節を祝う月を象ったロゴが飾られていました。
ちなみにこの門は上に上ることができるようになっていました。
門の上からは先ほど通ってきた庭園や、その先に見える国旗掲揚台などが見えます。
中国の影響を受けた建物ばかりが続くかと思うと、城跡内には洋風の建物もありました。
このエリアの一番の見どころはベトナム戦争中に実際に使われていたD-67作戦司令部です。こちらは司令部のメンバーが集まっていた会議室です。奥には国父ホー・チ・ミン氏の肖像、そしてベトナム南部の地図が掛かっています。
ちなみに机の上には司令部メンバーが座っていた位置を示す名札が置いてあり、現代ベトナム史を調べると出てくるような錚々たるメンバーの名前が書かれています。それぞれの人の名前の上には中将、大将など役職名が書いてあったりもするのですが、ヒラのメンバーの上には”Dong Chi”と書いてありました。これは「同志」のベトナム語表記ですね。ベトナム語にはこういう漢語由来の単語がかなりあり、以前は漢字文化圏であったことを窺い知ることができます。
さらにタンロン城跡を歩いていると、ここに都を遷都した李朝の祖・李太祖の遷都の詔を記したスペースがありました。遷都の詔が漢字で書かれていることからもベトナムが漢字文化圏であったことが窺えます。今のベトナムではラテン文字をベースとしたクォック・グーが使われていますが、これが広まったのはフランスによる占領期以降で、それより以前は漢字と日本語で言うところの「国字」のようなベトナム語固有語彙を表現するための文字でベトナム語を表記することが一般的だったのでした。
出発前に晩ごはん
タンロン城跡を見学した後は寝台列車に乗る前に晩ごはんを食べておこうと思い、ホアンキエム湖のあたりまで戻ってきました。この時はどうやらホアンキエム湖の周辺でマラソン大会が開催されていたようです。
そういえばまだベトナムに来てから飲んでいなかったなと思い、ここでハイランズコーヒーのベトナムコーヒーを飲みました。やはりベトナムに来たらハイランズコーヒーです。
ホアンキエム湖のあたりから晩ごはんを求めて、写真を撮りつつ前日にもビールを飲んだターヒエン通りを目指しました。
そしてこの日も路上のテーブルに陣取りビールにおつまみです。香草と牛肉の炒め物はおいしかったのですが、おそらく香りづけのための香草が口に入ってしまうと噛み切れずやや食べにくかったのでした。
昨日に続きビールを飲んでいると、だんだん外も暗くなってきて寝台列車の出発の時間も迫ってきたので、ハノイ駅へと移動することにしました。
ハノイ駅へ
寝台列車に乗るべく、旧市街からGrabタクシーに乗ってハノイ駅へとやってきました。タクシーの車窓からハノイ駅を見たことは何度かありましたが、ハノイ駅自体に行くのはこの時が初めてでした。
私が乗るのは電光掲示板に出ているこのSE3列車です。ベトナム統一鉄道は列車の本数が少ないこともあり、このシンプルな電光掲示板で十分なんでしょうね。
まだ出発まで時間があったので、跨線橋に上って上から写真を撮ってみました。複数のプラットホームに列車が停まっていました。ハノイからホーチミンシティまで走破する列車は数が少ないので、ハノイからさらに北部、中国方面へ走る列車などが停車しているのだと思います。
ベトナム統一鉄道も駅に改札はなく、列車の各車両を担当する車掌さんによって検札が行われるシステムになっています。
先頭まで行ってみると、ちょっと古めかしい機関車が待機していました。独特な丸みがちょっと共産圏らしい雰囲気も醸し出しているように思います。
しばらくすると発車時刻が近づいてきたので、車掌さんの検札を受けて寝台列車に乗り込みました。ちなみに、各車両が何号車なのかを示す号車案内は停車中にはホームに張り出すような仕様になっていました。シベリア鉄道やタイ国鉄の寝台列車では見なかった仕掛けです。そうこうしているうちに発車時刻となり、列車は南に向かって出発したのでした。
以上、2023年10月のベトナム旅行記・ハノイ編でした。次回はベトナム統一鉄道でのフエまでの道のりとフエの観光について書く予定です。お楽しみに!