2019年4月のソウルの旅に続いてGWにJGC修行も兼ねて行ったASEAN周遊旅行の旅行記を書いていきたいと思います。この記事では旅程と最初の訪問先であるシンガポール滞在時の記録を書いていきます。

今回の旅程

今回はJGC修行の一環ということもありFLY ONポイントが多く貯まりつつも、GWシーズンにしては割安になりそうな路線を選ぼうということで、以下のような旅程としました。

日付 場所(それぞれの場所の記事へのリンクになっています)
4月26日 成田(出発)
4月27日 シンガポール(到着)
4月28日 シンガポール→マレーシア入国:マラッカ
4月29日 マラッカ
4月30日 マラッカ→クアラルンプール
5月1日 クアラルンプール→ブルネイ入国:バンダルスリブガワン
5月2日 バンダルスリブガワン
5月3日 バンダルスリブガワン→インドネシア入国:ジャカルタ
5月4日 ジャカルタ
5月5日 ジャカルタ(出発)
5月6日 成田(到着)

地図1にプロットするとこんな感じです。GWど真ん中の日程でシンガポール発着とすると航空券が高くなってしまうところを、行きはGW開始前日の成田発シンガポール着、帰りはジャカルタ発成田着とすることでFLY ONポイントを稼ぎながら航空券の価格を抑えるという作戦です。2週間弱で5都市周遊ということで、しょっちゅう飛行機に乗っていた旅行でした。また、マレー半島内(シンガポール~マラッカ~クアラルンプール)の移動はバスを使用したため、バスでの長旅も満喫できるという、移動マニア2にとっては欲張りなプランとなっています。計画当初はシンガポールから鉄道で北上していくというのも候補にあったのですが、鉄道で北上する場合マラッカを旅程に入れるのが面倒になってしまうため、バス移動となったのでした。

会社発成田経由チャンギ行き

前回のシンガポール旅行ではチャンギ国際空港を深夜に出て早朝に羽田空港に着く便を利用することで、羽田空港から直接出社するという旅程としましたが、今回はその逆で、GW開始前日の金曜日を午後半休にし、会社から直接成田空港へと向かう旅程にしました。スーツケースを会社まで持っていくのは億劫ということで、会社の最寄り駅のコインロッカーにスーツケースを預けようとしたのですが、運悪く大きいロッカーは一杯でした。仕方なく会社にスーツケースを持ち込んだのですが、こんな日に限っていろいろな人が自席にやってきてしまい、いろいろな人に午後半休なことがバレてしまったのでした。

ともかく、午後に会社を出て、NEXで成田空港へと向かいました。成田空港には出国ラッシュの映像を撮るカメラマンの方がいたりと、出国ラッシュの前兆という雰囲気はありましたが、今回はプレミアムエコノミークラスでの旅行ということと、まだまだ早い時間だったこともあり、保安検査も含め思ったよりスムーズに済ませることができました。

出国して成田空港のサテライトエリアへ向かう通路を歩いていると、いつも気になるのがこの”GALLERY TOTO”です。今回は時間に余裕があったので試しに入ってみましたが、まあ要するに小洒落たトイレでしたね…(そりゃそうだ!)

そして今回も懲りずにラウンジでカレーです。成田への移動の都合でお昼抜きだったということもあり、ガッツリ食べてしまいました。しかし、会社を早退して明るいうちから飲むビールはGWのスタートを飾るには十分な旨さでしたね…

ラウンジ飯を一通り満喫した後、隣のハノイ行きの表示を見てベトナムも行きたいなあ…と思いつつ飛行機に搭乗したのでした。今回は最前列ではないですが、余裕のスペースです。

そしておなじみの機内食です。今回は午後6時前に成田を出発し、深夜にチャンギに到着する旅程なので、晩ごはんということになります。お酒はまたしてもプレミアムエコノミー限定のシャンパンにしました。

また、今回はおやつ(?)にアイスに加えて、インスタント麺の「うどんですかい」もお願いしてしまいました。夜食にぴったりのコンパクトサイズです。

今回の便は夜便とはいえ現地の0時過ぎに到着する便です。そんなわけで、今寝てしまうと着いてから寝られないなあと思い機内では映画を見ていました。映画を見つつ7時間ほどするとシンガポール・チャンギ国際空港に到着です。

手が荒れがちなこともあり中国入国時に毎度指紋認証で引っかかる私ですが、2回目のシンガポール入国となるこの時も指紋認証で引っかかり、審査官にじーっと見られた末にスタッフレーンを通って入国することになったのでした。今回は市街地までの移動手段として乗り合いタクシーであるシティシャトルに挑戦してみようと思い、待合エリアまで行ったのですがなかなかシティシャトルが来ず、結局タクシーでホテルまで向かったのでした。ホテルに着いた頃には現地時刻で1時半ごろになっていて、フロントのフレンドリーなお兄さんに「君が最後のお客さんなので待ってたよ~」と言われつつ、オレンジジュースまで出してもらいながらチェックインしたのでした。

リトル・インディアの小洒落たホテル

さて、今回泊まったのはリトル・インディアの端、Rohor駅寄りにある”Perak Hotel”です。ペラナカン風の建物のホテルです。特にインテリア等を意識してホテルを予約したわけではなく、マラッカへ向かうためのバスターミナルやムスタファセンター3、地下鉄駅へのアクセスを考えて取ったホテルだったのですが、なかなか小洒落たよい雰囲気のホテルでした。

客室の写真を見ても分かると思いますが、木製品がふんだんに取り入れられたクラシックな雰囲気のあるホテルでした。置いてあるオブジェはちょっと不思議な感じですが、アジアンな雰囲気が漂っていました。また、ご覧の通り、客室を含めすべて木張りの床になっていました。そのため、「1階に響くので客室内では靴を脱いでお過ごしください」という旨のお願いが客室に掲示されていました。1泊8000円でしたが、物価の高いシンガポールにしては部屋も広く、朝食ビュッフェもカヤトーストなど満足できる内容でした。またシンガポールに行く機会があればぜひ泊まりたいホテルです。

せっかくなのでスマホのカメラではなくデジカメで撮ってみました。なかなかいい雰囲気です。

朝のジャラン・ジャラン

さて、深夜着だったこともありぐっすり寝て起きた後は、ホテルで朝食を軽く食べてマレー語で言うところのジャラン・ジャラン、散歩に出発です。

なにはともあれ、せっかくリトル・インディア周辺に泊まっているのだからとムスタファセンターを冷やかしに行きました。夜寝る前に行こうかとも思ったのですが、夜は玄関の鍵を締めてしまうとのことだったので朝に行ったのでした。

ムスタファセンターのそばには”CRIME ALERT”という掲示板が出ていました。”SHOP THEFT”ということなので軽犯罪だとは思いますが、夜の独り歩きなどはちょっと注意がいるのかもなあと思いながら眺めていました。

さて、ムスタファセンターを冷やかし終わった頃にはもう日が照っていて、徐々に暑くなってきていました。そんな暑い中ですが、ふらっとホーカーセンター4に入って朝ごはん第二弾、ラクサを食べてしまいました。暑い中、風に当たりながら汗ダラダラで食べるラクサ、実においしいです…

その後少し散歩をし、再び別のホーカーセンターに寄り道しつつ移動し、チキンライスにテ・タレも満喫しました。

こちらは2軒目、チキンライスを食べた際のホーカーセンターのトレイ返却コーナーの写真ですが、ハラルと非ハラルで返却コーナーが分かれていました。こんなところにもお国柄が出るのだなあと感心しました。

チキンライスやテ・タレをのんびりと味わっているともう11時となっていました。ホテルに一度戻り、この後の旅程をおさらいしていた私、ここで重要なことに気がついたのでした。シンガポールは華人系住民が多数ということで、ビールを含めたお酒をフラっと飲みやすいエリアですが、この後訪問する国はすべてイスラム教国ということで、お酒を飲みにくいエリアだったのです。マレーシアの後に訪問するブルネイに至っては原則禁酒5の国なので、全くお酒が飲めません。これはシンガポールにいるうちにお酒を満喫しておかねば、と思い立ち、慌ててシンガポールのビールであるタイガービールの工場見学ツアーを申し込みました。

イエスかノーか、旧フォード工場へ行く

さて、タイガービールの工場見学ツアーは16時からなので、その前に今回行こうと決めていた、Bukit Timahにある旧フォード工場へと向かいました。

さて、この旧フォード工場ですが、1942年のシンガポール陥落時にイギリス軍が無条件降伏を受け入れる旨、合意した歴史的な場所です。その際に日本軍の山下奉文司令官がイギリス軍のアーサー・パーシヴァル中将に対して降伏受け入れを「イエスかノーか」と迫ったというエピソードが有名です。この旧フォード工場は地下鉄では行きにくい場所ということもあり、Grabで行ったのですが、道中運転手さんに「旧フォード工場がどんなところか知ってるか?」と聞かれて、ドキッとしてしまったのでした。別に怒っているような雰囲気ではなかったのですが、日本人としてきちんと受け答えしなければ…と緊張してしまいました。

工場内はミュージアムとなっていて、日本軍の進攻の過程や日本統治時代の歴史などが展示されていました。横書きが右から左なあたりが時代を感じます。ぶれてしまっていますが、1枚目の写真の雑誌には「シンガポールの資源は錫とゴム」と書いてあります。この後行ったクアラルンプールで工場見学したロイヤル・セランゴールの錫製品が有名であることからも分かるように、今でも錫はマレー半島の主要産品であります。

さて、こちらは実際に降伏受け入れの会議が行われた会議室です。机自体はレプリカということですが、ここで歴史が動いたと思うと感慨ひとしおです。

もちろん日本軍が有利に各地を進攻していた際の展示だけでなく、日本軍が劣勢となった時期の資料も展示されていました。上の写真は降伏を呼びかけるビラです。なかなか激しい文面です。

一通りぐるっと見学した後、工場の外観を撮っていた時にキャッサバの木が植えられているのを見つけました。写真にも写っている札の通り、キャッサバの地下茎を加工したものがタピオカです。ちなみに地下茎をふかしたものをこの年の9月にベトナム・ホーチミンシティで食べることができました。

タイガービールの工場見学ツアーへ行く

ブギスに戻ってマンゴーシェイクを飲み、一休みした後はタイガービールの工場に向かいました。

ちょっとギリギリになってしまいましたが無事タイガービールの工場に到着し、ツアーに参加することができました。エントランスのテーブルには様々なビールがずらりと並んでいました。ここでタイガービールの歴史についてレクチャーを受けてから、実際の工場見学がスタートします。

各所にタイガービールの缶を使って作ったシンガポール名物が飾ってありました。

もちろん工場なので実際にビールの製造も実施しているのですが、ご覧の通り遊び心もいっぱいの施設になっていました。タイガービールの歴史を教えてもらった後は釜のある建屋に案内され、ビールの製造工程の説明を受け、その次にビールのおいしい注ぎ方のレクチャーがあり、と日本のビール工場の見学と同じような雰囲気でした。

ツアーを一通り終えた後はお待ちかね、試飲コーナーです。通常のタイガービールだけでなく、黒ビールやクラフトビールなど様々なビールを試飲することができます。有料(20SGD=約1600円)ということもあり、日本のビール工場見学ツアーよりも大盤振る舞いでした。1月にお世話になった田中さんから試飲ではArchiperagoを飲むようおすすめされていましたが、実際なかなかの旨さでした。

試飲を終えて帰る際にはお土産に瓶に詰めたてのタイガービールを1本もらうことができます。この日にホテルに戻ってから飲みましたが、”Extra Fresh”の名に違わず、たしかにキリッとした味わいで普段飲むタイガービールよりも美味しく感じました。

さて、タイガービールの工場はシンガポール島とマレーシア側を結ぶ第二の連絡路であるマレーシア・シンガポール・セカンドリンクにほど近いエリアにあることから、1月にジョホールバルを訪問した際にも見かけたシンガポール車が越境する際のガソリン残量に関する注意の看板を見かけました。

戻りはMRTに乗って帰ろうと、MRT東西線のJoo Koon駅まで移動しました。この時点ではもっと近くまでMRT東西線が延伸されていたのですが、参照していたデータが古かったこともありJoo Koon駅まで行ってしまったのでした。Joo Koon駅はバスターミナルも兼ねていることもあって大きな駅ビルのある駅でした。晩御飯にもほどよい時間になってきていたので、なにはともあれとここでもチキンライスを食べました。

ちなみにJoo Koon駅の駅ビルにはシンガポールの電気街ビル・シムリムタワーにもあるY2K Computerの支店がありました。何度見てもおっかない名前のお店です。

案の定チキンライスだけでは足りず、バクテーにするかカレーにするか…と悩んだ末、ブギスまで戻った後ムスタファセンターそばのパキスタンカレーレストランへ行き、1月にも食べたパラクパニールを食べたのでした。ジョッキで飲むマンゴーラッシーも最高です。その後夜景を撮りに行くかーとも思ったのですが、カレーに満足してしまいそのままホテルに戻って、工場見学でもらったビールを飲んで就寝したのでした。

ラクサ再び

さて、シンガポール滞在2日目にしてマラッカへの移動日となったので、荷物を整理してホテルの朝ごはんを食べ、早々にチェックアウトしました。とはいえバス移動は夕方の予定なので、またしても散歩開始ということになります。

この日は前日と変わってまずはMRTダウンタウン線に乗り、チャイナタウンへと移動しました。「牛車水」というという漢字表記はチャイナタウンが形成されはじめていた頃、水道が未整備だったため牛車で水を運んでいたことに由来するそうです。なんともストレート!

チャイナタウンにある仏牙寺には仏教行事であるウェーサーカ祭を祝う提灯が飾られていました。周辺が暗めな写真なのはこの時マニュアルレンズ(Pentacon Auto 50/F1.8)で撮っているからです。きちんと補正したりしたい今日この頃です。

その他ショップハウスもきれいに残っています。このあたりは3階建てでした。

この辺りには猫もいました。屋台のご飯狙いでしょうか?

また、チャイナタウンといいつつ、ヒンドゥー寺院であるスリ・マリアマン寺院もチャイナタウンにあります。ヒンドゥー寺院は1月にジョホールバルのガラス寺院に行ったり、2014年にクアラルンプールのマリアマン寺院に行ったりしています。

チャイナタウンの雰囲気を味わった後は、少し足を伸ばしてMaxwell Food Centreへと行きました。ここでも懲りずにラクサです。

マーライオンはお休み中!

さて、ラクサも食べたところで再びMRTに乗り、1月にも見たけどもう一度見ておくかとマーライオンパークへと向かいました。しかし着いてみるとなんと補修中で足場に覆われていて、一滴も水を吐き出していないではありませんか。あまりの衝撃(?)に当時「世界広しといえどはいてないと心配されるのはとにかく明るい安村とマーライオンくらいであろう」とツイートしてしまいました。

そんなわけで前回と打って変わってミニマーライオンが一躍脚光を浴びていたのでした。

その後はラッフルズ・プレイス方面へと歩いていきました。

道中、各国の要人(上からジャワハルラール・ネルー、鄧小平、ホー・チ・ミン)の胸像を発見しました。どういうチョイスなんでしょう…

その後はまたしてもMRTに乗りマリーナ・ベイ・サンズへと移動してフードコートでお昼ごはんにバクテーを食べました。その後少しカジノを冷やかしてからブギスへと戻りました。

ブギスをぶらぶら

じわじわとバスの時間が近づいてきていたということもあり、ホテルにも近いブギスやリトル・インディアのエリアを最後に散策することにしました。ブギスジャンクションは1月訪問時にも入口付近のTOAST BOXでラクサを食べたりとお世話になっていますが、この時はせっかくなので上層階までうろうろしてみました。

ブギスジャンクションを出た後は懲りずにシムリムタワーへと向かいました。深圳→秋葉原→ソウル→横浜6と来て、この日で5週連続の電気街訪問だったようです。シムリムタワーは田中さんから聞いていたとおり、日曜日ということでシャッターを下ろしているお店が多かったです。

一方小売色の強いシムリムスクエアの方は活況でした。

今回は上の方のフロアまで行ってみたのですが、Mac専門店のコレクションが圧巻でした。iBookもiMacも懐かしいですね。1枚目の写真の左下はeMacでしょうか。

さらによせばいいのにガジェット専門店でボイスチェンジャーにもなるオーディオエフェクタを衝動買いしてしまいました。3500円くらいだったのですが、後からAliExpressで調べた所2200円位で売っていました。とほほ…

その後はマトンのビリヤニを食べ、またフラフラ歩いてはテ・タレを飲み、バスの時間までだらだらと過ごしていました。

波乱の越境バス

さて、そうこうしているうちについにバスの出発時間が迫ってきました。ホテルにスーツケースを取りに行き、シムリムタワーのそばのバスターミナルでバスに乗り込みました。写真の通りきれいなバスで、足も十分伸ばせる座席配置でした。この後バスを乗り換えますが、乗り換え後のバスも同様の座席配置でした。定刻を少し過ぎてからバスは出発し、前日に行ったタイガービール工場の更に先、Tuasのチェックポイントを目指して走っていきました。

Tuasのチェックポイントはシンガポールを出国する手続きを行うことになります。ここでは何も起きず、すんなりと出国することができました。出国すると新たなバスが待っていて、こちらに乗り換えることになります。

新しいバスに乗り換えた後は、マレーシア・シンガポール・セカンドリンクを通ってマレーシア側へと向かうことになります。私がこの夕日を眺めていた時にはまだこの後波乱の展開が起こることを知らなかったのでした…

問題はこのセカンドリンクを渡った後、マレーシア側の入国審査の際に起きました。マレーシア側の施設に到着したタイミングが中国からのツアー客の方々とかぶり、長蛇の列に並ぶことになってしまったのです。私が乗ったバスの乗客はほぼマレーシア人かシンガポール人だったようで、地元住民レーンを通って早々に通過していきます。そんなわけで、気がつけば周りに同じバスに乗っていた人は全くいませんでした。30分以上イミグレで遅れると置いていく場合があるとの断り書きがバスターミナルに貼ってあったこともあり、いきなりジョホールバルに放り出されるという懸念が脳裏をよぎりました。まあジョホールバルは1月に訪問しているわけだし、物価もそこまで高くないのでここで泊まるなり、なんとか交通手段を工面してマラッカまで行くなりすればいいとは思ったのですが、何にせよいろいろ連絡しないとなあ…と思っていました。

そして一向に列は進まず、やきもきしていると、ツアコンの方が私に気が付き、少し順番を譲ってくれたのでした。お礼を言いながら前進させてもらいましたが、それでもまだまだ審査官のもとまでは長い列があるのでした。30分が過ぎ、ああ、これは置いていかれるな…と思った瞬間、カウンターの向こう側から運転手のおじさんが「何やっとんねん!!」という顔をしながらこっちを見てきたのでした。もうこの時には「待ってくれてるんだ!やった!」というよりも「ああ、自分以外は揃っているんだ…」という気分でした。

結局40分ほどかけてイミグレを通過し、半泣きで走ってバスの元へと向かったのでした。「お前地元民じゃないのか!どこから来たんだ!」と運転手さんに聞かれ「日本人です…」と答えると運転手さんはやれやれという感じで諦め(?)てくれたのですが、怒りが収まらないのは私の前に座っていたおじさん。「何分待たせてるんだ!!何考えてるんだ!!」と大激怒したうえ、中指まで立てられてしまいました。確か22時過ぎ着の便だったので、ここの遅れが痛いのは間違いありません。ひたすら平謝りに謝って荷物を載せバスに乗り、その後はしょんぼりしながらマラッカまでの道のりを過ごしたのでした。無理やりでもイミグレの順番を譲ってもらうか、1月にやったようにジョホールバルまで移動してから国内路線バスでマラッカに向かうのが正解だった、というところでしょうね…

アジアハイウェイ2号線をひたすらキシキシいいながら走るバスと、100km/h以上出ているはずなのにそのバスを軽々抜いていくバイクに驚きながら過ごしていると、マラッカのバスターミナルにバスが到着しました。私はバスターミナルの先、ホテルのそばの停留所まで乗るチケットにしていたのですが、地元の方々はバスターミナルで降りてしまい、これは貸切か…と思っていると二人組の旅行客が乗ってきました。何か運転手さんと交渉しています。そうこうしているうちに私にヘルプを求めてきました。自分たちが泊まるホテルの近くまで行くのであれば乗せて行ってほしい、ということでした。最初は英語で会話していたのですが、よくよくiPhoneに出ている地図を見てみると、日本語が書いてある地図でした。あっ!日本人の方ですか!とお互いに笑ってしまいました。結局日本人3人を乗せバスは出発し、その方々は一応地図を頼りに、バスが近くを通ったところで下車していきました。その方々とは道中雑談していたのですが、雑談する前にGrabを紹介しておけばその方が安全だったかなあ…とちょっと後悔したのでした。そうこうしているうちに、バスは私が降りるポイントまで移動し、無事ホテルに到着できたのでした。

以上、2019年GWのASEAN旅行記・シンガポール編でした。次回はマラッカ編です。お楽しみに!

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公開日:2020/12/07 最終更新日:2020/12/20