2018年秋のシベリア鉄道の旅、いよいよ最終日&帰国編となりました。振り返ってみても最後までバタバタとした旅行でした。
おみやげを買いに行く
最終日はまず荷物を軽く整理してからホテルの朝食を食べに行きました。街歩き編にも書きましたが、いい値段がするもののそれ相応に美味しい朝食なのでした。
さて、朝食を食べて部屋に戻り、軽く支度をしてからホテル周辺のスーパーへ行きました。食べ物系の配れるおみやげは早々に買っておき、チェックアウト前にスーツケースに入れてしまおうという作戦です。写真はロシアの定番チョコレートブランド”Алёнка(アリョンカ)”です。ぷくぷくしたアリョンカちゃんの絵が可愛いチョコレートです。モスクワではどこでも見かけました。
こちらは結局チェックアウト後にも行ったスーパーマーケットで見かけたチョコレートです。むむむ、ロシアの方はきのこ派なんですかね…
マトリョーシカを買いに行く
さて、食べ物系を軽く買った後は、マトリョーシカを買いに有名なお土産品の市場であるヴェルニサージュ市場へと向かいました。ヴェルニサージュ市場は街歩き編で紹介したパルチザンスカヤ駅から歩いて数分のところにあります。上の写真はパルチザンスカヤ駅からヴェルニサージュ市場へ歩いていく道中にあるホテル・デルタです。このホテルを含むホテル群は1980年のモスクワ五輪に合わせて建てられたホテルだそうです。
さて、パルチザンスカヤ駅から歩いていくと目の前にこのテーマパークのようなかわいい色合いのヴェルニサージュ市場の入口が見えてきます。入場料が必要な日もあると聞いていたのですが、この日は特に入場料を求められたりはしませんでした。ヴェルニサージュ市場は元々は卸売市場ですが、個人で1個単位からお土産品を購入することも可能です。
中に入るとご覧の通り、色とりどりのマトリョーシカをずらっと並べている屋台が多く目に入ります。一体一体も細かく飾りが付けられていて見ごたえがありますが、それがズラッと並ぶと壮観です。私は写真とは別のマトリョーシカ屋台でロシアの歴代指導者をモチーフにした10体セット(一番外側がプーチン大統領でその中に9体入っている)のマトリョーシカを買いました。
もちろんヴェルニサージュではマトリョーシカ以外にもポーチやトートバッグなど、観光地にありがちなグッズ系のお土産物品は一通り売られています。また、写真右側に写っているように、マトリョーシカを売りに来る職人さんたちを当て込んでか、未塗装のマトリョーシカなど、材料の販売もされていました。
そしてここでもワゴンで各種飲み物や軽食の販売がされていました。良い文化ですね…!
ワゴンでピロシキを買って食べてしまおうかと思ったのですが、ヴェルニサージュの端で売っていたステーキ風の料理のセットに浮気してしまいました。赤いソースが辛かった記憶がありますが、お肉は大変美味しかったです。
一通りヴェルニサージュで買い物をしたあとは、その隣のイズマイロヴォのクレムリンへ行きました。赤の広場編でも書いたように、ロシア語でクレムリンとは城塞という意味なので、子供向けテーマパークとなっているこのイズマイロヴォのクレムリンはさしずめ「こどもの城」といったところでしょうか。非常にファンシーな見た目で、中に入ってみたはみたのですが、特にアトラクションを体験するわけでもなく、チェックアウトの時間も迫ってきていたのでぐるっと回るだけ回って出てしまいました。
あの名犬も!宇宙飛行士記念博物館
さて、ヴェルニサージュ市場からホテルに戻り、荷物をパッキングしてチェックアウトをした後は宇宙飛行士記念博物館へ行きました。このいかにもソ連時代の国威発揚を狙ったような建物からしていいですよね。
そして博物館の入口付近には人類初の宇宙飛行士であるユーリ・ガガーリンと女性初の宇宙飛行士であるワレンチナ・テレシコワの像が飾られていました。
館内では模型・レプリカ・実物(!)を組み合わせてソ連およびロシアの宇宙開発についての展示が行われています。上の2つはソユーズロケットになります。
もちろんロケットだけでなく、ソユーズ宇宙船のレプリカや実物も豊富に展示され、解説に使われています。一番下の焦げたような宇宙船はソユーズ37号の帰還船の実物だそうです。余談ですが、ソユーズ37号の往路では、ソ連の友好国を宇宙開発に参加させるインターコスモス計画の一環として、ベトナム人宇宙飛行士のファム・トゥアンがアジア人初の宇宙飛行士として搭乗しています。(ファムは軌道上のサリュート6号宇宙ステーションを経由して、復路ではソユーズ36号を利用しています。)
その他にも宇宙ステーション「ミール」や、ソ連の崩壊に伴うゴタゴタに巻き込まれついに有人飛行をすることをなく幕を閉じてしまったソ連版スペースシャトルとも呼ばれる「ブラン」の模型も展示されていました。
個人的に面白かったのは宇宙ステーション内の設備の展示のところで、このようにマキタの電動ドライバが展示されていたことです。宇宙飛行士も選ぶマキタなんですね…!
こちらはモルニヤ1号の模型です。一般的に通信衛星には赤道上空に打ち上げ、地球の自転周期と同期した公転周期を持つようにし、地上から見たときの位置が変化しない静止衛星が使われます。しかし、国土の大半が赤道から非常に遠いロシアから見ると、赤道上空を飛ぶ衛星は水平線に近い、空の低いところを飛んでいるように見えるため、地上の建物などに電波を遮られてしまい通信を行う上で非常に不利になってしまいます。そこで考え出されたのがモルニヤ軌道です。楕円形の軌道を採用し、北半球をゆっくりと通過した後、素早く南半球側を通過して再び北半球に戻ってくる、という軌道になっています。このモルニヤ軌道を持つ衛星を複数個組み合わせることで、ロシア上空を常時カバーするようにしたのがこのモルニヤ衛星シリーズになります。まさに極地域のロシアならではの工夫が込められた衛星です。
そしてこちらはアポロ11号が持ち帰った月の石です。1970年に当時のアメリカ大統領、リチャード・ニクソンがソ連を訪問した際に、「ソ連人民への贈り物」として寄贈したものだそうです。個人的にはそもそもソ連が持っていないのを分かっていて月の石を贈っているわけで、その時点でえげつないマウンティングだと思うのですが、よりによってそれを「ソ連人民への贈り物」なんて言っちゃうあたり、まーアメリカさんも陰険ですなあという感想を持ちました。それだけ東西冷戦時の宇宙開発と覇権争いが凄まじかったということなんでしょうね…
そしてこちらのかわいい2匹の犬の剥製はそう、地球軌道を周回して無事に帰還した初めての生物となった宇宙犬のベルカ(上)とストレルカ(下)のものです。ベルカとストレルカは1960年8月19日にスプートニク5号に乗り、地球軌道を周回した後、その他の実験動物と共に無事に地球に帰還しました。歴史を作った偉大な犬ですね…!
ドモジェドヴォ空港へ向かう
さて、宇宙飛行士記念博物館を出て、市街地へ戻り、街歩き編に書いた地下鉄駅の探訪をした後、ブラブラと少し買い物をしました。その後、ホテルで荷物を回収し帰りの便の飛行機が出るドモジェドヴォ空港へ向かうべく、空港行きの特急電車、アエロエクスプレスが出るパヴェレツキー駅へと向かいました。
車両は典型的なヨーロッパの在来線特急電車という雰囲気でした。パヴェレツキー駅からドモジェドヴォ空港までは約45分の旅となります。実はこの時すでに2週間後に香港経由で深圳へ行くことが決まっていたので、同行者がいることが分かっていた行きはともかく、一人行動になるのが分かっていた帰りの深圳→香港西九龍の高速鉄道1のチケットを車中で取ったりしながら過ごしていました。
そんなこんなで無事アエロエクスプレスでドモジェドヴォ空港に到着しました。この後チェックイン時間になったのでチェックインするか、とチェックインカウンターを探すも、そもそもチェックインカウンターの一覧を表示するような電光掲示板がありませんでした。スタッフの方に聞いてみたところ、私が乗る便名とは違う便名が表示されているカウンターの列に並びなさいと言われ、本当にそこでチェックインするという不思議な経験をしました。ドモジェドヴォ空港から乗るのは国内線のイルクーツク行きの便だったからなのか、ここへ来て若干適当な雰囲気を感じてしまいました。
空港でご飯
さて、ややフリーダムなチェックインカウンターを抜け、荷物検査を通り制限エリアに入ってから、晩ごはんを食べることにしました。気がつけば2週間近くロシアにいたのにも関わらずロシア風の餃子・ペリメニを食べていないということに気がついたので、ペリメニとスイーツを食べました。ペリメニもさることながら、やはりここでもベリー系のスイーツが美味しかったのが印象的でした。
その他、制限エリア内にもムームーがありました。今回は先にごはんを食べてしまったのでパスでしたが…
目指せイルクーツク
その後搭乗時間となり、ボーディングブリッジでスイスイと搭乗…なんていうことはなく、バスで移動しタラップで搭乗しました。
ドモジェドヴォからイルクーツクまでは6時間弱の夜行便ということもあり、国内線にもかかわらずこの通り機内食が出ました。味はまあ機内食だしこんなもんか、という感じでした。
試される大地・イルクーツク
さて、6時間弱の夜行便、ここまでの疲れもあって機内食を食べたらばぐっすりと寝ることができ、着陸直前に目覚めることができました。着陸が無事成功すると、機内では拍手が起こり、「ロシアの人は着陸時に本当に拍手するんだ…!」と謎の感動をしてしまいました。しかしその感動もつかの間、ふと窓の外を見てみると何かおかしい。どうも霧っぽい、いや、地面も白いぞ…ということで、雪が吹き付けていることに気がついてしまいました。まだ10月4日、間違いなく秋なのにも関わらず、ちょっとした吹雪です。シベリア鉄道で停車時にホームを散策したときには全く想像もしなかった、試される大地・イルクーツクの風景でした。
吹雪の中バスに乗り、国内線ターミナルに着いてみるといかにも地方空港という趣のこぢんまりとした空港でした。荷物を受け取るベルトコンベアも羽田や成田のそれを見慣れているととってもコンパクトにまとまっているという印象を受けました。
さて、私はモスクワ・ドモジェドヴォ空港からこのイルクーツク空港へと移動してきたので国内線ターミナルに到着したわけです。次はイルクーツクから成田へ飛ぶので、ここで国際線ターミナルへ移動する必要があります。先程の写真のこぢんまり度合いを見てもらえればなんとなく察しはつくのではないかと思いますが、連絡通路やバスなんてものはなく、吹雪の中徒歩でスーツケースを引いての移動です。モスクワを出る時点でもう流石に寒いところに滞在することはなかろうと、モスクワで買ったダウンジャケットをスーツケースにしまい込んでしまっていたことを深く後悔しながら国際線ターミナルへと移動しました。
で、移動した国際線ターミナルの出発ロビーがこちら。国内線と国際線の写真が逆じゃないかと思ったそこのあなた、残念ながらこれが正解です。いよいよ地方空港というより飛行場という雰囲気になってきました。何故か税関検査のブースに入るところに画面が取り付けられており、画面に表示されている便の乗客だけが税関検査に進めるという仕様になっていました。しかもチェックインの前に税関検査を受けるというルールになっているとのことでした。しばらく待ち、自分の乗る便名が表示されて税関ブースへと進み、スーツケースの中のニキシー管を少し怪しまれながらも無事通過すると、その先には全部で4つしかないチェックインカウンターが並んでいました。出国までの流れが不思議な順序になっているのはどうやら狭い空港内でのチェックイン手続きがキャパオーバーにならないようにするための策だったようです。
制限エリアへ入ると若干出発ロビーよりはまし、という雰囲気で、売店やカフェもある場所が広がっています。と、いうか、ここしかないんですけどね…まさしく飛行場の待合室といった趣です。たまたまモスクワからの便も同じだった日本人の方に国内線ターミナルで声をかけていただいたので、雑談で盛り上がり、あまり退屈しなかったのは不幸中の幸いでした。その方は数十カ国を旅した方で、なんと9月4日に台風21号の影響でタンカーが流され、関空連絡橋に衝突した事件に巻き込まれて関空に閉じ込められたという、なんともタイムリーなエピソードを持った方でした。
結局吹雪の影響で1時間弱遅れて搭乗となりました。結局雪はずっと降っていました。
ラッキーなことに割り当てられていたのは非常口座席でした。今度は国際線ということもあり、フライト時間は先程の国内線大差ないものの、少し広いシートで過ごすことができました。その後無事飛行機は離陸し、成田へと向かっていったのでした。写真は国際線の機内食です。お昼ごはんだからか、前日の夜行便の機内食よりも少しシンプルな気がします。
そんなこんなで約1時間遅れで無事飛行機は成田空港に到着し、25歳まで適用のリムジンバス・ユース割を使うのもこれが最後2か…と思いながらリムジンバスに乗り自宅へと向かったのでした。
さいごに
以上で2018年秋のシベリア鉄道の旅行記は完結となります。最後までお読みいただいた方、そして旅の最中にごはんをシェアしてくれたり、話し相手になってくださった皆さん、本当にありがとうございました。今回は6日かけて極東・ウラジオストクからモスクワまでを走るシベリア鉄道という、やや特殊な移動手段を軸に据えながらも、北京、ウラジオストク、モスクワという3つの都市を周遊しました。もちろん今はこの3都市に行くのも昨今のCOVID-19で非常に難しい状況ですが、どうしても「密」になってしまうシベリア鉄道の二等寝台で旅をしながら同室の人々とごはんをシェアして…というような旅行スタイルが復活するまでのハードルはこれらの都市に行けるようになることよりもさらに高いのではないかと思います。それを考えると、やはり乗れるうちにシベリア鉄道に乗っておくというのは正解だったなと感じる今日このごろです。
さて、次回は2018年10月、この帰国の2週間後に行った香港深圳編です。お楽しみに!