2018年秋のシベリア鉄道の旅・Part3です。Part2から引き続き列車は遅延との闘いの中モスクワへと走っていきます。Part3はいよいよ完結編です。
完結編というわけで、Part3ではマリインスク駅を出てから終着駅であるモスクワ・ヤロスラフスキー駅までを扱います。
ノヴォシビルスク駅を寝過ごす
Part2の最後にあるように、マリインスク駅を出発し、晩ごはんを食べた後は次の長時間停車駅であるノヴォシビルスク駅まで起きていられるかなーと思いながら外を眺めていました。ここで気がついたのですが、隣の客室にいた方が実は日本人の大学院生の方でした。論文執筆が落ち着いたからと卒業前の思い出にシベリア鉄道旅行をしているとのことでした。ウラジオストクで乗車し、イルクーツクで途中下車、バイカル湖を観光して再びロシア号に乗車しモスクワを目指すという定番にして王道のルートで観光しているとのことで、イルクーツクとバイカル湖はとても良かったとのコメントをもらい、次回チャンスがあれば行ってみよう…!という気持ちが更に強くなったのでした。また、その方曰くイルクーツクで下車する前のロシア号にも通し乗車をするという日本人の方がいたそうで、少ないとはいえ多少は同じことを考える日本人がいるのだということもここで分かりました。
そんなわけでしばらくその方と会話した後、また客室に戻りベッドの準備をし、寝転がりながらKindle Paperwhiteで読書をしていました。ノヴォシビルスク駅はマリインスク駅を出てからおよそ5時間後の到着ということで、22時過ぎの到着だから大丈夫だろうと思いつつ寝転がっていたのですが、うっかり寝てしまっていました。
深夜のバラビンスク駅
そんなわけでノヴォシビルスクを逃し、中途半端に早く寝てしまった私は到着前に目が覚めたので真夜中の停車駅、ノヴォシビルスク州・バラビンスク駅のプラットホームに降りてみました。スマホに入れておいた速度計でバラビンスク駅到着前に列車の速度を測ってみたところ、120km/hほぼぴったりの値がずっと出ていました。今回乗ったロシア号の車両の側部には車両の耐える速度が書いてあり、120km/hの車両と150km/hの車両の混合編成でした。ここまでの3時間近い遅れを短縮するために遅い方の制限速度である120km/hギリギリを出し続けていたようです。とはいえ30分程度の時間短縮なので、23時過ぎに着くはずであったバラビンスク駅に列車が到着したのは午前1時半過ぎのことでした。
真夜中なので照明が煌々と焚かれており、静かなプラットホームは独特の雰囲気に包まれていました。特に何を買うわけでもないのでそそくさと列車に戻ると、早々に列車は出発しました。
タイムゾーンを飛び越えイシムへ
バラビンスク駅を出て再び寝て起きるとオムスク州に入り、タイムゾーンがUTC+7からUTC+6に変わり、このタイムゾーン唯一の停車駅、オムスク州のオムスク駅を過ぎて列車はチュメニ州・イシム駅へ向けて走っていました。起きてしばらくするとチュメニ州に入り、タイムゾーンもUTC+5に切り替わりました。この時点でモスクワまでの残りの距離は約2500kmになっていました。列車はバラビンスク駅を出た後もずっと120km/hギリギリで走行していたようで、イシムに着く時点では遅延が1時間半まで短縮されていました。
元々午前5時前の到着予定のところが1時間半の遅延で午前6時半の到着となったため、もう明るくなっていました。しかし夜間の運転手さんの懸命な努力にはハラショー!と言いたくなってしまうところです。ところで、この「ハラショー(“Хорошо”)」ですが、同室のお兄さんとおばさんの会話の端々に出てきて、そんなに軽々と使うものなのか…と感心したのでした。会話の内容がわかればもう少し雰囲気がつかめるところなのですが、ロシア語はさっぱりだったので、そんなに驚いていなくともハラショーというのだな、ということくらいしか分かっていませんでしたが、後で調べたところ、「うんうん」「なるほどねえ~」くらいの相槌としても「ハラショー」を使うようだということが分かり納得することができました。みなさんも気軽に「ハラショー」、使っていきましょう。
さて、話題を戻してイシム駅ですが、この駅はそれほど大きい駅ではなく、踏切もないためご覧の通り線路横断をする方も見かけました。日本の駅のプラットホームと違い、高さが低い(車両の側から階段を出して低いプラットホームと高さを合わせている)ので割と簡単に横断できてしまうんですね。しかし秋のロシア・シベリアの朝ということもあって寒かったです…
カーシャを食べる
さて、ここまでですでに散々ごちそうになっている私ですが、この日の朝ごはんもまたしてもおばさんにごちそうになってしまいました。これはカーシャ”Каша”という東欧でメジャーなお粥のような料理です。缶詰だったので十徳ナイフで開けるのを手伝ったりしました。十徳ナイフは実に便利であります。肝心の味の方ですが、すこし味が薄いかな…という印象でした。しかし穀物を煮たお粥のような料理ということで、腹持ちは抜群だった印象です。
そして同室のおばさんは風邪気味ということもあり、少し寝込んでいたのですが、そこにお兄さんの方が取り出したのがこの嗅ぎ薬でした。タイにヤードムと呼ばれる嗅ぎ薬があるのは私も知っていて、タイに行った際には買って帰っているのですが、同じようなものがロシアにもあるのか…!と感心してお兄さんに見せてもらうと、なんてことはない、こちらもタイ製品だったのでした。二人はタイ製品だということを知らなかったようでした。それだけロシアでも定着しているものなんでしょうか?
油田の街・チュメニ
さて、イシム駅の次の駅は3時間半後のチュメニ州の州都の駅・チュメニ駅です。このチュメニ、ニコニコ技術部深圳コミュニティで知り合った田中さんによると地理で油田の街として習うほどの有名な街だそうです。地理を履修していない私は全く知らなかったのですが、油田の街がある辺り、さすがはエネルギー大国ロシアだなと感心してしまいました。2020年8月現在だとCOVID-19に絡んで、ロシアが海外からの入国者の一時隔離施設をこのチュメニに用意したというニュースでチュメニの名前を耳にした方もいるかもしれません。
運転手さんの懸命な120km/h定速運転のおかげで、チュメニ到着時点で遅延は1時間10分まで短縮されていました。
残念ながらチュメニ駅到着時は小雨が降っていました。駅はピンク色の駅舎と現代的なビルがそれぞれ建っているという、これまでにないスタイルでした。ビルがあるのは油田の力でしょうか…?
プラットフォームのキオスクでピロシキを買おうと思ったのですが、ここでは普通のサンドイッチしか売っておらず、水だけを購入しました。ここのキオスクの店員さんが英語を喋ってくれたのが印象的でした。何でもかんでも油田の力というわけではないでしょうけれど、産業の都合で外国人が多い都市なのかもしれない、と思ったのでした。
ピロシキが買えなかったのでそろそろかさばるカップヌードルでも消費するか…というつもりだったのですが、またしてもおばさんにごちそうになってしまいました。牛肉とグリンピースのカーシャです。こちらは塩とハーブが効いていて大変私好みでした。振り返ってみてもご飯もらいすぎですね。
ついにヨーロッパ・エカテリンブルグ駅
さて、チュメニを出て5時間ひたすら走るとついにスヴェルドロフスク州・エカテリンブルク駅に到着です。エカテリンブルグのすぐそばにアジアとヨーロッパの境界が走っていることから、ついにヨーロッパに足を踏み入れたということになります。
シベリア鉄道の中でも屈指の規模の駅ということもあり、沢山の人が乗り降りしていました。チタ-II駅から乗っていたお兄さんもこのエカテリンブルグで下車するとのことで、下車前に記念撮影とWhatsAppの連絡先交換1をして別れたのでした。
チュメニ到着時には小雨が降っていて暗い空模様でしたが、エカテリンブルグ到着直前から徐々に晴れ間が見え、雲は多いものの青空の下エカテリンブルグに到着したのでした。
駅の規模も大きいため、電光掲示板もしっかりしたものが取り付けられていました。
もちろんプラットフォーム間の移動もシンプルな踏切ではなく、小洒落た地下道が用意されています。
停車時間切り詰めはあるにせよ乗降人数も多いし大丈夫だろうと足早に駅前まで出てきてみました。柱と赤い文字の”ВОКЗАЛ”の文字が眩しかったです。
駅前の広場には戦士を称えるソ連時代の像が飾られていました。いかにもプロパガンダという感じです。
切符売り場の上部には液晶TVによる列車の電光表示板もあり、ここまでの駅で最も現代的な印象でした。構内アナウンスも英語のものが頻繁に流れていて、ついにヨーロッパに来たのだという実感が湧いてきたのでした。
エカテリンブルグ駅でも少し停車時間を切り詰め列車は出発し、ついに車内から見る最後の夕焼けが訪れてしまいました。ウラジオストク初日の豪雨以外は天候の面ではそこまでひどい目に遭うこともなくラッキーだったな、と振り返っていました。
ついにダイヤを回復!ペルミ-II駅
エカテリンブルグ駅を出てからも列車は激走を続け、やたらと揺れるなあ…と思っていたらペルミ-II駅に到着する頃には遅延は驚くべきことに11分まで短縮されていました。そりゃあ揺れるわけですね。
時間は20時前ということで、ギリギリ空はまだ明るかったのでした。ここでは駅の外には出られませんでしたが、キオスクに行き菓子パンを買いました。その後列車は停車時間を切り詰め、ほぼ定刻通りに出発したのでした。いくら旅程が長いとはいえ、3時間の遅延を見事に回復するとは、ロシア鉄道恐るべしです。
UTC+4唯一の停車駅・バレジノ駅
さて、すっかりシベリア鉄道の早く寝る生活に慣れきってしまったために22時半過ぎ到着のウドムルト共和国・バレジノ駅も危うく寝過ごしそうになりましたが、なんとか目を覚まして下車することができました。
バレジノ駅では機関車の付け替えが行われていました。ここから先、モスクワの一つ手前の駅であるウラジーミル駅までは交流電化区間ということで付け替えを行っていたようです。
夜なので物売りはプラットホームにはいませんでしたが、商品を並べたワゴンが暗い中に置かれていました。果たしてこの駅でぬいぐるみを買う人はいるのでしょうか…
まさかの早着!ニジニ・ノヴゴロド駅
さて、バレジノ駅を出てから就寝し、朝起きてからペルミ-II駅で買っておいた菓子パンを食べしばらくすると次の長時間停車駅であるニジニ・ノヴゴロド駅に到着しました。なんとこれまでとは逆に5分早着です。
ニジニ・ノヴゴロド駅はエカテリンブルグよりも更にヨーロッパの鉄道駅、それも都市部の鉄道駅という雰囲気があり、比較的新しい急行電車がプラットホームに停まっていました。
ご覧の通り、急行電車の先頭は丸みを帯びた形で、2018年2月に訪れたEU圏の電車のような雰囲気です。
そして行先表示板にもついにモスクワ行きの急行電車が現れました。いよいよモスクワが近づいているのだな…と感じたのでした。
残念ながらニジニ・ノヴゴロド駅は近郊列車も多いためか改札を通らないと外に出られない仕組みとなっていました。そのため駅の外に出ることはできませんでしたが、朝7時台にもかかわらず駅のキオスクは開いていたため、そこでパンを買うことができました。
キオスクで買ったのはサンドイッチと菓子パンです。右側の菓子パンはベリー系のジャムの菓子パンで、道中では久々の甘い食べ物でした。左のサンドイッチはお昼ごはんにしました。
ホームに戻る際にはマクドナルドの広告も発見しました。右側にはマックエクスプレス(“МАКЭКСПРЕСС”)と書いてありますね。調べてみると24時間営業のテイクアウトコーナーのようでした。
最後の途中停車駅・ウラジーミル駅
さて、ニジニ・ノヴゴロド駅を出ておよそ3時間、ついにロシア号最後の途中停車駅、ウラジーミル州の州都の駅であるウラジーミル駅に到着しました。
ここまで来ると新たに乗ってくる人はあまりおらず、すでに乗っている人が最後の思い出作りか、モスクワ到着前の準備体操なのか一旦下車している印象でした。
駅の”Владимир”という看板の字体と少し焼けたような赤色がなんとも味わい深いのでした。
そしてなにより駅舎中央部のこのソリッドなコンクリート打ちっ放しの佇まいがいかにもソ連という雰囲気を醸し出していて、個人的には大変好きな駅舎でした。
内容はわかりませんがレーニンの顔の彫刻が壁に掲げられていました。こういうところもいかにもソ連の置き土産という感じです。
列車がウラジーミル駅に到着したのがちょうど11時前ということもあり、駅の外に出たところで丘の上の教会からの11時を知らせる鐘を聞くことができました。
駅舎の中は若干古めかしくこぢんまりとした雰囲気でしたが、写真の通りキオスクはしっかりとしていて、ここではシベリア鉄道の最後のピロシキをゲットすることができました。
ここで買ったピロシキ2の具は一つがひき肉、もう一つがブルーベリージャムでした。主食+おかずのイメージが強かったのですが、ブルーベリージャムなんていう変化球もあるのかと感心してしまいました。ちなみにピロシキを買っていそいそと客室に戻ったところ、ニジニ・ノヴゴロドで買ったサンドイッチがあるのにさらに食べるのか、と呆れ顔をされてしまいました。現地の人には当たり前の食べ物でも、我々からすると貴重な食体験ですからね…
さて、ここまで来ると何でも名残惜しくなってくるのでした。このウラジオストク-モスクワという電光表示板もここで見るのが最後か…と思いながら撮ったのをよく覚えています。
また、ウラジオストクからモスクワ、そしてサンクトペテルブルグやソチ、シンフェロポリ3までが一枚にまとまっている路線図も駅内に掲げてありました。果たしてこの看板がとても役に立った!という人はいるのでしょうか…
駅の外には蒸気機関車が飾られていました。駅の外から回ればもう少し近寄れるのかと思ったのですが、どうやらそういうわけでもないようでした。
いよいよ到着!モスクワ・ヤロスラフスキー駅
さて、ウラジーミル駅を出てさらに走ること3時間、ついに列車は終着駅であるモスクワ・ヤロスラフスキー駅に到着しました。到着約1時間前になると車掌さんが客室に来て乗車券を返却し、握手をしてくれました。リネン類を片付け、荷物の整頓もそろそろ済んだかという頃に、再度車掌さんがやってきて残り40分で到着すると教えてくれました。
そうこうしているうちに列車は定刻通りヤロスラフスキー駅に入線し、我々も下車しました。下車した後、「銀河鉄道999」のメーテルがかぶっているようなおしゃれな毛皮の帽子を被って「よい旅を!」と言い残して去っていく同室のおばさんのかっこよさといったらなかったですね。6日間の旅がついに終わってしまった…という寂しさと達成感に包まれながら、スーツケースを引きつつ駅の外へと向かったのでした。
モスクワ・ヤロスラフスキー駅は見ての通り「ヤロスラフスキー”Ярославский”」という看板だけが立てられています。モスクワに限らず、ロシアの鉄道駅はその場所の駅名ではなく、その駅から出発する列車の行き先の地名を付けることがあるようです。つまりこのヤロスラフスキー駅はヤロスラヴリ駅へ行く列車が出る駅、というわけです。逆に私が通ってきた2つ手前の駅であるニジニ・ノヴゴロド駅は正確にはニジニ・ノヴゴロド・モスコフスキー駅という名前だそうです。
駅舎の前でせっかくだからと、隣の部屋の大学院生の方とお互いに記念写真を撮りあい、連絡先を交換して別れたのでした。
さて、ヤロスラフスキー駅を出ると目の前はこんな感じになっています。写真中央に見えるとんがり帽子の白い建物はカザンスキー駅、つまりタタールスタン共和国の首都カザン行きの列車が出る駅です。写真右側のひときわ高いビルはホテル・レニングラードであります。ホテル・レニングラードはスターリン政権時代のソ連でよく見られた重厚な建築様式であるスターリン様式の建築物として有名です。この建物はモスクワで宿泊したゴールデンリングホテルのそばのロシア外務省などとともに、モスクワにあるスターリン様式建築の代表的な建物7棟を総称したセブンシスターズと呼ばれる建物の一つです。
一通り写真を撮った後は、あらかじめスマホに入れておいた地場のライドシェアアプリであるYandex.Taxiを使って車を呼びました。いきなりシートベルトが写真の通り無効化されている、運転が荒いなどの期待を裏切らないワイルドな歓迎を受けながらもホテルへと向かったのでした。
以上、2018年秋のシベリア鉄道の旅・鉄道移動編Part3、シベリア鉄道完結編でした。シベリア鉄道乗車中は車掌さんに始まり同室の乗客の方々など、様々な方に大変お世話になりました。2020年現在ではCOVID-19の流行によりなかなかこういうスタイルの旅行は当面できそうにありませんが、また機会があれば一部の区間に再乗車、あるいは003列車のように別路線に挑戦したいと思うのでした。鉄道移動編はこれで完結したので、次はモスクワ滞在編の予定です。お楽しみに!