先日の記事に書いたとおり,2017年7月10日~14日に開催されたICLC14 (International Cognitive Linguistics Conference:国際認知言語学会)に参加してきました.開催地であるエストニア・タルトゥまでの道のりと学会の内容はだいたい書きましたので,それ以外のちょっとした騒動やご飯情報をこちらで書いていきたいと思います.
とにかく寒い&外が明るい
エストニアの近隣の有名な都市がヘルシンキ(フィンランド),サンクトペテルブルク(ロシア)ということから分かるように,エストニアはかなり北方の国です.
そんなわけで7月の中旬にもかかわらず大変寒かったのでした.日中でも20度程度までしか気温が上がらず,長袖のYシャツなら大丈夫だろうという予想を見事に裏切ってくれました.さすがに20度まで上がるお昼~夕方は長袖Yシャツ1枚でなんとかなるのですが,朝晩の冷え込みが結構厳しかったので,おみやげになるだろうしと空き時間に慌てて近くのデパート,kaubamajaへ上に着るものを買いに行ったのでした.
kaubamajaの周辺にはkvartal,Taskuという2つのデパートというかショッピングモールもあるのですが,宿から行くとkaubamajaが一番近かったため,滞在中に一番お世話になったのはこちらのショッピングモールでした.
幸いにも,私が行ったタイミングでセールをやっていたため元値が€69.99のパーカーを€34.99で買うことができました.なかなか日本では見ないブランドのパーカーだったので,いいおみやげにもなりました.(冬まで使うタイミングがないですが…)
さて,私はなぜか旅先だとやたらと早起きになるという傾向(一度だけ寝坊をやらかしたこともありますが…)があり,また夏の高緯度地域なので日の出が朝4時半頃ですぐに空が明るくなってしまうということもあって,一度だけ5時頃に起きてしまったことがありました.二度寝しても良かったのですが,どこに行ったときもだいたい早起きすると町を散歩するようにしていたので,今回も朝6時前にホテルを出て散歩をしました.
朝6時過ぎで上の写真のように明るいのもなかなかびっくりなのですが,それ以上にホテルをでたときに息が白かったことにびっくりしてしまいました.夏場は日が長いし涼しくていいところだとは思いますが,一体冬場はどうなるのだろう…と思ってしまいました.
実は元司令部!バークレイホテル
さて,今回私が宿泊したのは学会会場から一本道を歩いて5分程度のところにあるBarclay Hotelというホテルでした.ちなみにBarclayというのは18世紀のロシア帝国の軍人であるバルクライ・ド・トーリに由来するようで,このホテルの前に彼の記念碑が設置された公園がありました.
先日の記事に書いたとおり,タルトゥの周囲の宿に比べると割安な部類に入ると思うのですが,シンプルながら落ち着いた宿でした.
…と,普通なら宿の紹介はこんなものだと思うのですが,この宿はなんと過去にソ連軍駐屯地司令部だったという歴史がある宿なのでした.
エストニアは1940年にソ連に占領され,その後戦中のナチス・ドイツによる支配を経て再度ソ連に占領・併合されていた歴史を持つ国家です.タルトゥはソ連時代にソ連軍の空軍基地が置かれていた都市であり,1991年のエストニア独立までは外国人立入禁止の都市だったそうです.この宿はその時代の駐屯地司令部ビルとして使われていたビルだそうです.予約をしたときにはその事実を知らず,出発が近づいてきて「地球の歩き方」を手にとって見たときにこのことが書いてあり驚いたのでした.
そんな経緯があるため,宿の1Fには歴代の司令官の記念のレリーフがあり,宿を出た所にはタルトゥの司令官として勤務した後,チェチェン共和国とチェチェン・イチケリア共和国の初代大統領となったジョハル・ドゥダエフの記念碑がありました.
ワイルドなエレベーター
ここまで書いてきたように,歴史ある建物であることはなんとなく宿に到着する前に分かっていたのですが,そうなると個人的にはエレベーターがなかったらどうしよう,と若干心配になってしまったのでした.昨年ベトナムで安宿(1泊1700円)に泊まった時は夜遅くの到着だったこともあり,エレベーターなしの建物の4Fに宿泊したため,スーツケースの運搬がちょっと面倒だったのでした.
さすがにエレベーターがないということはなく,5Fに宿泊していても楽にスーツケースを運搬できたのですが,このエレベーターがまたワイルドだったのです.
外側から見ると,回り階段の中心部の吹き抜けを網で囲われたエレベーターが動いているという状況で,保護が網しかないのもちょっとワイルドなのですが,問題は乗った時なのです.
動画をご覧いただくとわかると思うのですが,エレベーターのかご側に扉がないのです.さすがに移動中はドアが開いたりしないようにロックがかかるのですが,初めて乗った時は驚いてしまったことと,構造上扉の内側に取っ手をつけられない(引っかかっちゃいますからね)ことから,降りるときにどうすればいいのか一瞬混乱してしまいました.慣れてしまえばどうということはないのですが,なかなかおもしろい経験だったと思います.
恐怖の開かずの扉事件
宿で開かずの扉というとだいたいオートロックで鍵を持ち出すのを忘れてしまうというのがお約束かと思うのですが,それはそれでやった上で(おい!)それ以上の騒動を起こしたというか,引き当ててしまいました.
はい,問題が起きたのはこのセーフティーボックスです.
私が国内で使っているスマホはSIMロックがかかったままだったので,エストニアでSIMを買って使えるようにSIMフリーの端末も別に持っていっていたのでした.そのため,国内で使っているスマホは滞在中には使わないため,セーフティーボックスの使い方の確認も兼ねて一度しまってみよう,と思ってしまったのがいけなかったのです.
スマホを中に入れ,キーの左側に書いてある暗証番号の設定手順に従って暗証番号を登録し,液晶画面に”LOCK”という文字が出て,ガチャっという音がしてロックするところまではよかったのです.うまく使えたのでじゃあ他のちょっとした(スーツケースに戻すほどでもない)貴重品も入れておこう,と開けようとしたところ,暗証番号を入れ終わる前に画面に”Low Battery”表示が.
おっ,と思う間もなく画面は消え,その後は一切の反応を示さなくなってしまいました.
まさかそんな…と思いつつ,色々試してみるも開けることはできませんでした.(簡単に開けられたらセーフティーボックスの意味が無いので当たり前ですが…)
この時点で私の脳裏にはこのままチェックアウト日まで開けることができず,携帯電話だけ後から送ってもらうことになったらどうしようという,かなり悲観的な予想が過ぎっていました.
運の悪いことにこれが起きたのは発表前の月曜日で,荷物の整理に戻ったタイミングだったので,とりあえずそのままにしてまた学会に戻り,どこかのタイミングでフロントに言わねばということで,学会からまた戻ってきたタイミングでフロントに電話連絡しました.
とりあえずフロントのお姉さんが来てくれたのですが,やはりこれはダメそうだということで,専門の人を手配してくれるとのことでした.その後フロントから電話がかかってきて,9時以降(随分夜遅いな,と思ったのですが,空は明るいのであんまり夜という感じがしないのです)に専門の人が来るからよろしくという連絡があり,最悪の事態は避けられそうだということがわかりほっと胸を撫で下ろしました.
しかし,9時ごろには宿に戻っていないといけなくなってしまったため,発表の練習を早めに切り上げることになってしまい,先生にはご迷惑をおかけしてしまいました.(本当にすみません…)
さて,9時頃に宿に戻って待っていると,しばらくしてドアをノックする音が.ドアを開けると50代なかばといったところでしょうか,髭を生やしたおじさんがいました.どうも英語は話せないようでしたが,慣れた手つきで専用の工具を使い解錠してくれたことから,多分地元の鍵屋さんなんだろうなあと思いました.その後,やはり電池だろうね,というジェスチャーをして,一旦部屋を去っていきました.
どうやら英語が話せなさそうだというのはわかったのですが,こちらとしてはスマホを囚われの身から解放してくれた方なのでできるだけ感謝の意を伝えたく,”Thank you”ではなくてエストニア語では「ありがとう!」は何というのか,調べてみようと検索しながらおじさんの帰りを待っていました.
そしてなんとかおじさんが戻ってきて電池を取り替えている間にエストニア語での「ありがとう!」を調べることができました.なんとこれがこの状況にぴったりマッチしており,
Aitäh!(アイタ!)
と言うことがわかりました.セーフティーボックスが開いてアイタ!とはなんともまあよくできた話だなあと我ながら思いながら,おじさんにアイタ!とお礼を言い,この騒動は終結したのでした.(その後私がセーフティーボックスを使わなかったのは言うまでもありません.)
ちなみに,最初にちょろっと書いたように,部屋の鍵(写真の”60″と書いてある大きな真鍮製のキーホルダー付き.重い!!)の閉じ込みも2日後に朝食を食べに行くときにうっかりやってしまったのですが,その時のフロントのお姉さん2人の会話に聞き耳を立てていたところ,ネイティブの”Aitäh“の発音を聞くことができました.日本語で言うところの過去形の「開いた」と疑問形の「開いた?」の間のような発音でした.(本当にフロントの皆様には親切にしていただきました…)
エストニア第二の都市・タルトゥ
さて,大体の方はエストニアというと世界遺産の旧市街がある首都のタリンに行かれると思うのですが,今回私が行った,学会の開催地であるエストニア第二の都市,タルトゥ市(”Tartu city”とそれを含む大きな区分の”Tartu county”がありますが,ここからは前者を前提に進めます.)は人口約9万人(Statistics Estonia,2017によると93,124人)の小さな都市でした.日本で同じくらいの人口の市を探すと岩手県北上市(93,511人),兵庫県芦屋市(95,350人,いずれもWikipediaより,法定人口)などがあるようです.
そんな小さな都市なので,タルトゥ大学を含む中心部であるKesklinn(市中心部,という意味だそうです)周辺はさらにこぢんまりとまとまっており,朝や空き時間に散策するだけでかなりの部分を見て回ることができました.このセクションの最初に貼った写真の建物はその中心部のにある市庁舎で,市庁舎の前は石畳の広場になっていました.
市庁舎の反対側はこのようにテラス席のある飲食店や宿,土産物展などが並んでおり,小洒落た雰囲気を醸し出していました.
また,帰国前日には偶然この広場をスタート地点にラリーイベントが開催されていました.百台以上の参加車両があったのではないかと思います.
さて,最初の市庁舎の写真には少しだけ噴水が写っているのですが,噴水の中心にはこんな像があるのです.
なんともまー幸せそうな像であります.晴れの日も雨の日も傘を差しキスをしているお二人は学生だそうで,タルトゥが大学の街であることを垣間見ることができる像でもあります.
その他にも,大学の裏手に広がるトーメの丘の方へ行くと,世界遺産であるシュトルーヴェの測地弧を構成する旧タルトゥ天文台や,天使の橋,悪魔の橋と呼ばれる橋,タルトゥ大聖堂跡などがありました.
大学よりも北側へ歩いていくと,聖ヤーニ教会がありました.タルトゥの街にはこの教会からの時刻を知らせる鐘の音が響き渡っていました.
いちいちかわいい車止め
街を歩いていると,歩道に車が入ってこないようにするための石をよく見るのですが,これがいちいちかわいいのです.
こんなふうに,どれも動物をモチーフとした車止めになっているのです.タルトゥへ行かれる機会のある方はぜひ色々探してみると良いのではないかと思います.
その他にも,駐輪場の自転車を立てかけるためのポールが通りの名前の形だったり(他の通りにもありました),細かいところもおしゃれな印象を受けました.
郵便を出してみる
海外へ行ったときの私のちょっとした趣味として,自分や友人あてに国際郵便を出すというのがあり,各国でちまちまとやっているのですが,今回も宿で売っていた絵葉書を買って,Kvartalというショッピングモールにある郵便局へ発送をお願いしに行ったのでした.
郵便局でも絵葉書を売っていたため,局員さんが局で販売している絵葉書と勘違いしてバーコードが読み取れない…と試行錯誤するといったハプニングもありましたが,無事に発送してもらうことができました.待っている間にちらっと見た感じでは,国内郵便用にSkypeのアイコンをモチーフにしたような切手もあるようです.(買っておけばよかった!)ちなみに金曜日に受け付けてもらい,翌週水曜日には日本に到着したので,割と処理スピードは速い方なのではないかと思います.
謎のヤの付くレストラン業に行ってみる
ところで,海外あるあるの一つ(と私が勝手に思っているもの)である「謎の日本食レストラン」はタルトゥにもバッチリ存在していました.
kaubamajaの周辺にある別のショッピングモールであるTaskuの最上階や,宿からTasku方面へ進んでいく間にあるKüüni(上の自転車ポールの通りです)の2箇所でこの「Yakuza Sushi Bar」を見かけました.ウェブサイトによればさらにもう一箇所タルトゥにあるようです.フォントといい,よりによって「ヤクザ」という単語をチョイスしてしまったあたりといい,これは気になるぞということで,お昼頃にプログラムが終わる学会最終日に行ってみました.
実際の所私が行ったのはTaskuの方ではなく,大学にも近い宿のそばの店舗でした.私が座ったのはテラス席の端っこだったのですが,盆栽がテラスの角においてあったりとなかなかのこだわりようでした.気になるメニューの方には握りもありましたが,日本の地名を冠した巻物が多数掲載されていました.よく見ると”Azumi maki”や”Bandai maki”など,割とマニアックな地名(というかその2つはどちらも内陸では…)を冠した巻物もありました.
さらにメニューを眺めていると数種類のおすすめの巻物から1つ選んだ巻物とサラダ,味噌汁のセットがあることがわかったので,”Osaka maki” (手前)のセットと,私が住んでいる川崎にちなんだらしい”Kawasaki maki” (奥)をオーダーしました.
“Osaka maki”はマグロ,アボカド,クリームチーズを巻いたものを揚げてあるのですが,一口目を食べるとマグロとアボカドの味がして揚がってるだけで普通じゃないか…と油断するのですが,直後にとろとろのクリームチーズがなだれ込んできて混乱しました.クリームチーズが入ってくるともう完全にクリームチーズの味です.”Kawasaki maki”はサーモンときゅうりのかわいい巻物だったのですが,塗ってあるタレが穴子の甘ダレを通り越してテリヤキソース級の甘さだったため,おいしいけどこんなに甘くなくていいのになあ,皆さんこういう甘いのがお好きなんだなあ…と思ったのでした.
セットのお味噌汁の方は鮭が入っていたこともあってか,確実に味噌スープではあるのですが,なんとなく石狩鍋のスープ感がありました.
醤油がきちんと日本の醤油だった(東南アジアとかだと魚醤だったり大豆でもなんか違う味だったり…)と,なかなかのこだわりだったのですが,現地の人好みの味付けと日本人好みの味付けというのは違うのだなあということを再確認したのでした.ちなみに支払いのときに店員さんに美味しかったかとっさに聞かれてYes!と答えてしまったのは秘密です.
チーズ多めの洋食たち
いきなりのご飯紹介が謎日本食になってしまいましたが,洋食に関してはどれもとても美味しかったです.チーズを多用する料理が多く,全体として重めでしたが…
これは餃子っぽい料理だったのですが,具はチーズやほうれん草などで,クリーミーな味わいがありました.
また,学会のディナーはもう一つの記事で紹介するエストニア国立博物館の庭園部分で開催されたのですが,そこで出たラム肉の料理やいちごを使ったデザートもなかなかに美味しく,洋風なものに関してはハズレはないという印象でした.また,デザートではありませんが,エストニアのチョコレートメーカーであるKalevのチョコレートはフルーツ入りも各種あり,お手頃価格だったのでおすすめです.
その他にも地理的に近いこともあってか日本では珍しいジョージア(グルジア)料理のお店があり,グルジアピザを食べたりました.
このパスタはタルトゥではなくヘルシンキで食べたのでエストニアのご飯情報ではないのですが,入っているひき肉はトナカイ肉だそうです.空港で毛皮を売っているだけあって,肉も活用しているのかと驚きました.(後で調べたら家畜化されたのはかなり昔のようなので単に私が知らなかっただけですが…)牛肉や豚肉のひき肉よりもボソボソしていましたが,匂いが強烈といったようなことはなく美味しくいただくことができました.寒い地域では重要な食肉の供給源なんでしょうね…
その他には宿の朝食メニューに並んでいた,ヨーロッパニシン(バルト海で穫れるそうです)を塩とオリーブオイルで漬け込んだものが完全におつまみにもってこいの味だったので,レストランのお兄さんに一体これは何という魚だと質問をしてスーパーに探しに行ったのですが,残念ながら缶詰ではなく要冷蔵の真空パック品しかなかったため泣く泣く諦めるといったこともありました.
その他,当然(?)いつも通りビールも飲んでおりました.ビールに関してはタルトゥにA.Le Coqというビールメーカーがあり,ここのビールやその看板を各所で目撃しました.その他にはSakuというメーカーもあり,こちらのビールも1度だけ飲むことができました.
その他にはFizz pearという梨フレーバーのサイダーも飲むことができました.
そんなわけでお酒には困らなかった(?)のですが,ノンアルコールな飲み物では若干苦労しました.ヨーロッパあるあるなんだとは思うのですが,ペットボトルのお茶を買おうとした所,NESTEAの甘いレモンティーかピーチティーしかありませんでした.東南アジアでも高確率で砂糖入りのお茶を引き当てたりしますが,なんだかんだ購入できるのに比べて,そもそも緑茶が売っていないというのは個人的にはちょっとしたカルチャーショックでした.その他にはボトルドウォーターを買うと炭酸水が多く,炭酸水があまり好きではない私はちょっと苦労しました.大きいスーパーではだいたいevianが置いてあるので,それを買えば問題ないのですが,コンビニのような小規模店舗でevianがない場合,エストニア語とロシア語とフィンランド語しか書いていないパッケージを見ても何が何やら分からず,結果として炭酸水を買ってしまうということもありました.
珍道中な部分についてはおおよそ書ききったので,番外編その2では次回は学会の行事として見学したエストニア国立博物館と,学会終了後に行ったAHHAA Science Centreや街中で見たITっぽい話題などを書きたいと思います.それではまた!