2018年秋のシベリア鉄道の旅・Part2です。Part1の最後に書いたように、車両トラブルのため3時間の大遅延でチタ-II駅に到着し、ここからはずっと遅延と闘いながらの旅となりました。
というわけでPart2では上の地図の囲いの通り、チタ-II駅を出て、ケメロヴォ州・マリインスク駅にたどり着くまでについて書いていきます。
IDカードを探す
3泊が過ぎ、3時間遅れでチタ-II駅を出て、午前7時過ぎに列車は次の停車駅・ヒロク駅に到着しました。この時点で2時間半弱まで遅延時間が短縮されていました。朝7時ということで朝ごはんの時間ではありますが、3時間の大遅延で午前3時過ぎにチタ-II駅から乗車してきた2人は寝たままでした。鳥肉をくれたおじさんと私はまあまあ寝ていたこともあり、その2人を起こさないようにしながら朝食を食べていました。
朝食を片付ける折、おじさんは次で降りるからとティーバッグをくれました。ロシアのお茶だから「ルースキー・チャイ(Русский чай)」だとのことで、なるほどロシアはお茶は「チャイ」なのだなと感心したりしました。また、写真のパックの飲み物は紅茶に入れるミルクでしたが、イメージキャラクターがディスニー版「ふしぎの国のアリス」のチェシャ猫を想像させるような見た目だったのが大変気になってしまいました。きっと親戚なんじゃないかと思います。
さて、この朝ごはんの後、事件は起こりました。おじさんはヒロク駅の次の駅(といっても3時間あるのですが!)、ペトロフスキー・ザヴォド駅で下車するために荷物整理を始めたのですが、何か慌てて探し始めました。どうやらIDカードを無くしてしまった模様。そりゃ大変だと私も一緒に捜索を開始しました。しかしなかなか見つからず。ここでふとLEDポケットライトを持ってきていたことを思い出し、おじさんに貸しました。ポケットライトが座席下の捜索に役立ち、無事駅に到着する前にIDカードを見つけ出すことができました。鳥肉に始まり紅茶まで、様々なものをもらってしまい申し訳ない限りでしたが、少しは恩返しできたかな…と思ったのでした。
その後おじさんは無事荷物をまとめ、2時間10分の遅延で到着したペトロフスキー・ザヴォド駅で降りていきました。2分間と短い停車時間だったため、降りることはできませんでしたが、降り際に握手をしたことと、車窓から撮ることができた小さいながらかわいらしい駅舎が今でも強く印象に残っています。
「赤いウデ川」:ウラン・ウデ駅
さて、ペトロフスキー・ザヴォド駅からさらに2時間ほど走り、遅延も10分短縮しておよそ2時間遅れで次の駅であるブリヤート共和国、ウラン・ウデ駅に到着しました。ウラン・ウデ駅は中国(北京)-モンゴル(ウランバートル)-ロシア(モスクワ)を結ぶ国際列車、列車番号003/004がシベリア鉄道本線に合流する地点としても有名です。「ウラン・ウデ」は近隣を流れるウデ川と、モンゴル系民族であるブリヤート人が話すブリヤート語の「赤い(ウラン:Улаан)」から来ている、ソ連時代につけられた名前だそうです。ちなみにブリヤート人はモンゴル系の民族であり、モンゴル語でも同様に”Улаан”は「赤い」という意味になります。つまり、モンゴルの首都である「ウランバートル」も”Улаан(赤い)-баатар(英雄)”という、社会主義時代の面影を残す名前になっていることになります。
さて、残念ながらここまでの大遅延の影響で本来であれば23分の停車のところ、5分~10分で停車を切り上げて出発する旨を車掌さんから伝えられていたこともあり、ウラン・ウデではホームから写真のタンク車を撮影するだけで撤退しました。当然ピロシキも買えずでした。
このあたりまで来ると白樺だらけの風景ではなくなり、黄色い葉だけでなく、紅葉など、植物の色合いも徐々にバリエーション豊かになってきていました。
バイカル湖を眺める
さて、ウラン・ウデを過ぎてしばらくすると、シベリア鉄道旅行のハイライトの1つである世界最大の湖・バイカル湖が見えてきます。ここからスリュジャンカ駅までの間、列車はバイカル湖と並走し、進行方向右側、つまり通路側にバイカル湖の風景が広がります。
下車できるわけではないですし、極寒のシベリアを走る列車なので当然窓も開かないのですが、車内からできるだけ窓ガラスが写り込まないようにしつつ、カーブで列車最後尾を狙って撮影してみました。ちょっとだけサスペンス風でしょうか。
バイカル湖との並走区間は4時間以上あり、その時間がバイカル湖の広さを物語っています。バイカル湖畔にたどり着いた頃は曇っていましたが、後半は比較的日が差して良い眺めでした。並走し始めてからしばらくするとどの客室からも人が出てきて現地の方も私のような観光客もこぞってバイカル湖見学です。まるで海かのようなバイカル湖、世界最大級の湖1とはいえ見くびっていました。これだけ広ければバイカルアザラシも住むわけですよね。
バイカル湖はその規模だけではなく、水の透明度でも有名です。車内から撮った写真ですが、少しは透明度を感じてもらえるかと思います。この水の透明度が高いという特徴から、バイカルアザラシは視覚に頼って獲物を捕まえるために眼球が大きく2進化したといわれています。残念ながらこのときはバイカルアザラシは見られずでした。(そんなにたくさん居るものではないのでしょうけど…)再度ウラジオストクを訪れる機会があれば沿海州水族館で見学したいところです。
湖畔ではニワトリが飼われていました。やたらとのびのび育ちそうです。
時間的には折返し・イルクーツク駅
列車はバイカル湖畔を離れ、イルクーツク州・イルクーツク駅に2時間40分遅れで到着しました。イルクーツクはイルクーツク州の州都であるとともに、バイカル湖観光の出発地点でもあります。イルクーツクを起点に湖畔の町・リストビャンカへ観光しにいくというのが定番のコースのようです。私も本来であればリストビャンカへ行きたかったのですが、Day0編に書いたとおり、スケジュールの都合で今回はイルクーツクでは下車せずそのままモスクワへ向かいました。また、今回の旅行ではモスクワから日本に戻る際の経由地でもあります。
そんなバイカル湖観光の起点の街であることや、ウラジオストク~モスクワ間の乗車時間約6日に対して3日が経過し、時間的には折返しポイントであることもあってか乗車する方、下車する方が大変多い駅でした。特に団体、二等客室を借り切っているような感じの4人組を多く見かけました。
2時間40分遅れということもあり、本来23分停車のところここでも停車時間切り詰めを行うとのことだったので、駅舎や駅の外には行きませんでした。また、資材の積み下ろしがあるのでしょうか、トラクターがホームを走り回っているのを見かけました。
そしてイルクーツク駅で印象的だったのは謎の野良犬です。何匹かいましたが、みんな大人しくトラクターにもびくともしていなかったので、きっとこの駅に居付いているのでしょう。若干秋田犬を彷彿とさせるモフモフ感のある、寒さに強そうな犬たちでした。シベリアで暮らしているだけのことはあります。2
プリウスの値段を聞かれる
イルクーツク駅ではたくさんの方が乗り降りされていたことは先程も書きましたが、私の泊まっている部屋にも新たにおばさんが乗ってきました。このおばさんはロシアのフラッグキャリアであるアエロフロート・ロシア航空にお勤めということで英語が得意な方でした。ここまではGoogleオフライン翻訳と指差し会話帳、ボディーランゲージと気合でなんとかしていたわけですが、おばさんに通訳をしてもらうことで他の方との会話も弾んだのでした。
ちなみにイルクーツクから乗ってきたこのおばさんですが、モスクワまで乗ってさらに乗り換えて2014年の冬季オリンピックが開催されたソチまで行くとのことで、相当の長旅なのですが、そんな人でも私がモスクワまで乗ると聞いたら随分物好きだなあというリアクションをしたのでした。ここまで3泊ですが、同じ部屋で最初から乗っている人は私だけで、ここまでで私の次に乗車時間が長かったのはペトロフスキー・ザヴォド駅で降りたおじさんでほぼ2日、その次はこの後も比較的長く乗り合わせることになるチタ-II駅で乗ってきたお兄さんでこの時点でほぼフルに1日、ということで3泊以上乗る人は珍しいようです。3等車の学生や若い軍人さんらしき人々が多かった風景とも合わせて考えると、1日~2日程度の乗車で地方都市間を移動する手段として使う方が多いようです。Part1で書いたとおり、長時間停車駅でもアマザルのように田舎っぽい雰囲気の駅もありますし、大都市から離れたところにある2分程度しか停まらない駅も多数あるわけで、そういう場所同士、あるいはそういう場所と大都市を繋ぐ深夜高速バスのような立ち位置なのだと思います。大都市-大都市であれば飛行機の方が早いのでしょうけれど、出発地点か到着地点が地方都市だったりすると、飛行機から陸路に乗り換えて地方都市へ移動する時間を考えるとシベリア鉄道移動のほうが日中の稼働時間の消費は少ない、なんていうケースは大いにありそうです。
さて、少し話がそれましたが、このおばさんのおかげで、深夜にチタ-II駅から乗ってきてしばらく寝ていた若いお兄さんとも会話が弾みました。ここまでもGoogleオフライン翻訳は使えていたわけですが、寝ていたこともあり起こすのも悪いかと話していませんでした。しかし、おばさんと私が会話をしているのを見て会話の輪に入ってきてくれたのでした。シベリア鉄道、喋る言葉が何であれ、到着地までは暇であるという一点に関してはみんな一緒ですし、そこそこ日本人は珍しいらしく色々と質問されて盛り上がりました。この若いお兄さんは私が日本人だと分かると何故かプリウスの値段を尋ねてきました。どうやらプリウスを買いたいらしいのです。たしかにウラジオストクでもプリウスを含めたトヨタ車は見たので人気なのでしょうが、新車だけでなく6年落ちのプリウスの相場まで聞かれてしまい苦笑いをしてしまいました。きっとウラジオストクだったりの港から入ってくる中古はそのくらいの古さなんでしょうね。流石に中古の相場までは把握していなかったので答えられませんでした。その他にも「日本にもスニッカーズある?」といったシンプルな質問をされたかと思えば、「日本の年金の受給開始年齢は何歳なんだ?」というなかなかシブい質問もおばさん&お兄さんにされました。年金の受給開始年齢の話は聞かれたときはどうしてこんなことを(それも受給開始年齢には程遠い私に!)聞くのだろうと不思議だったのですが、後ほど調べたところちょうどこの時、ロシアではプーチン大統領が年金の受給開始年齢を引き上げる年金改革案を発表し、支持率に響くレベルの大論争となっていたのだと判明したのでした。3
イルクーツクでの停車時に晩御飯を入手しそびれたため、食堂車に行こうかとも考えたのですが、物は試しと晩御飯は車掌室で売っているインスタントラーメン”Доширак”にしてみました。ペヤングを彷彿とさせる四角い容器で、かやくと粉をふりかけてサモワールから熱湯を注ぎ3分待てばOKというのは日本のインスタントラーメンと同じです。しかし、ご覧の通りスープが赤いのです。粉の時点で真っ赤だったのである程度覚悟はできていたのですが、案の定激辛でした。東南アジアといい、酷暑や極寒といったエクストリームな気候の中で暮らす人々は辛いものを好む傾向があるんでしょうね。本記事執筆時点で調べたところ、この”Доширак(ドシラク)”、韓国の会社がロシアで販売しているブランドで、「ドシラク」というのは韓国語で弁当箱という意味だそうです。
晩ごはんの折、おーいお茶のティーバッグをシェアしたのですが、おーいお茶にも大きめの角砂糖をドボンと3つも投入していたのを見て、やはりお茶は砂糖を入れて飲むものなのか…と考えさせられてしまいました。ノンシュガーのお茶の入手性が良い国は思いの外限られるので、だいたい海外滞在時に苦労するポイントなのですよね…
その後も列車は走り、夜中に次の長時間停車駅であるジマ駅に到着しました。ここでは夜も遅かったので下車しませんでしたが、地図を見てみるとすぐそばに4921km、4925km、4926km、4927km駅がありました。1kmおきに駅を作って全部モスクワからの距離で名前をつけてしまうそのストイックさに感心してしまいましたが、????kmという名前の駅を2個見つけると線路が蛇行していてもどちらがモスクワに近いか分かりますし、シベリア鉄道本線と支線の区別もつく(支線はいきなり16km駅というような名称になったりします。)というメリットはあるのではないかとしばらくしてから気が付きました。
朝のイランスカヤ駅
ジマ駅を過ぎ、列車は朝にクラスノヤルスク地方・イランスカヤ駅に到着しました。遅延がぶり返してしまい、本来であれば午前3時41分の到着のところ、3時間遅れの午前7時前の到着となり、外も明るくなっていたため下車してみました。ミントグリーンのコンパクトな駅舎でした。朝ごはんは同室のおばさんにチキンを頂いたので買わずに、プラットホーム周辺を散策するのみにしました。
本当に徐々に空が明るくなるタイミングでの停車でした。3時間の遅延のおかげで定刻通り運行している場合には下車する気にならなかった駅にも降りることができたのは不幸中の幸いでしょうか。逆に定刻通りなら降りたであろう駅もありますが…
この駅ではバキュームカーも出動していました。
イランスカヤ駅を出たところで車窓を眺めると斜面に牛がいました。イルクーツク駅手前のニワトリといい、のびのびと育ちそうです。
久しぶりの大都市・クラスノヤルスク駅
イランスカヤ駅を出て再び走ること4時間弱で列車はクラスノヤルスク駅に到着です。列車が駅構内に入る前の風景からして明らかにここまでのしばらくの駅とは違い、明らかに風景が大都市の雰囲気を醸し出していました。上の写真は車内かららプラットホームを眺めたら偶然見かけたショベルカーです。(株)岩本建設の人も売却したショベルカーが遠く離れたロシアで活躍しているとは思ってもみないでしょうね。ウラジオストクで見たインチキ日本語トラックのようなものも時折ありますが、日本語が書かれたままの中古車両を見つけるのは海外での密かな楽しみだったりします。きっと楽しみにしている人は私だけではないはずです。
下車して近郊型電車のプラットフォームへ行きました。写真の通り、プラットフォームには屋根や行先表示板がありました。これだけでもこれまでの駅との格の違いを感じます。
陸橋を渡り駅舎の方へ進む道中、車両基地の手前に電気機関車が飾ってあるのを見つけました。後ろの車両基地含め、いかにクラスノヤルスク駅の規模が大きいか分かっていただけるかと思います。
駅舎を抜け、市街地方面へ降りる階段の上から駅前を撮影してみました。高い建物こそないものの、広い駅前広場とロータリーは大都市の雰囲気を感じさせます。
階段を降りて駅の外から駅舎を撮りました。ここまでの駅舎の中でおそらく一番大きいのではないでしょうか。大規模な駅は2日目のハバロフスクぶりだったので感動していまいました。
クラスノヤルスクを出た後はずっと大都会が続くわけではなく、再び大自然の中を走っていきます。雲がいい味を出しています。日本の首都圏だと長い時間列車に乗っていても大都会・住宅街・都会・大都会…という感じで、途切れることなく人が住んでいる場所が続いていますが、土地の広い国に行くと人が住んでいる場所のほうが珍しく、たまに都会という感じの風景が続くので首都圏の密集度が凄まじいということを逆に感じさせられます。
さて、この日のお昼ごはんはクラスノヤルスク駅構内のキオスクで買ったピロシキです。この頃になると「じゃがいも」を表す単語”картошка(カルトーシュカ)”が読めるようになっていたので、じゃがいものピロシキを指名買いするようになっていました。素朴な味ですが飽きのこない美味しさで、炭水化物&炭水化物という点も高ポイントなのです。
公園のようなマリインスク駅
大都市・クラスノヤルスクを出て6時間、ケメロヴォ州・マリインスク駅に到着しました。クラスノヤルスク駅から一転、レンガの茶色に緑の屋根のシンプルな駅舎です。
横から見ると駅舎へ入るドアが二重扉になっていることが分かります。さすがは雪国ですね。
マリインスク駅を出るとすぐそばには蒸気機関車や彫刻が置いてあり、公園のような雰囲気になっていました。時間的にはもう夕方でしたが、すこしまったりした雰囲気でした。
プラットホームからは踏切を通って駅舎側に移動できるのですが、別途陸橋もあり、そちらから写真を撮ってみました。イルクーツクからの長距離列車も停まっていたので、プラットホームは今までの駅に比べると賑わっているように見えました。
ピロシキにまつわるエトセトラ
さて、マリインスク駅の次の長時間停車駅であるノヴォシビルスク駅には夜中の到着になる見込みだったので、ここで晩御飯のピロシキを調達しました。駅を散策してから客室に戻り、このピロシキを食べ始めたのですが、ここで向かいの席のおばさんからピロシキ”Пирожки”は複数形で単数形はピラジョーク”Пирожок”だという衝撃の事実を教えてもらったのでした。丁寧に発音の指導付きでした。みなさんもピロシキを食べる機会があったらぜひ、1個なのか複数なのか、ちょっと意識してみてください2。
同室の皆さんもごはんタイムということで、ここではイワシの缶詰のおすそ分けを頂きました。本当に車中ではもらってばかりの生活でした。
晩ごはんが終わった後はまた外の風景を眺めながら、次の長時間停車駅であるノヴォシビルスク駅まで起きていられるかな…と思いながらベッドを準備し、寝転がりながら本を読んでいたのでした。
以上、2018年秋のシベリア鉄道の旅・鉄道移動編Part2でした。次回Part3は鉄道移動編完結の予定です。お楽しみに!