2024年6月のインドネシア旅行記、インドネシア到着早々に飛行機を乗り継いで行ったジョグジャカルタ編に続いてPart2・ジャカルタ編です。ジョグジャカルタからジャカルタへ戻ってきて、夜の便で日本に戻るまでの短い時間の滞在だったこともあり、ほとんど電気街しか見ていません。
グロドックへ向かう
さて、ジョグジャカルタからの国内線に乗りジャカルタ・スカルノハッタ国際空港に戻ってきた後は、またまたGrabタクシーに乗ってジャカルタ中心部の電気街エリア、グロドックへと向かいました。グロドックは2019年のジャカルタ訪問時以来の訪問で、コロナ禍を経てどう変化しているかが気になっていたのでした。
空港からのタクシーの運転手さんがお爺さんが第二次世界大戦後にインドネシアに残った残留日本兵なんだよねーと話しかけてきてびっくりしたりという一幕もありました。さらに日本人ならこの曲は知っているだろうと、インドネシアの定番、五輪真弓の「心の友」を車内で流し始め、最終的には一緒に歌わされたのでした。インドネシアではなぜかこの曲が今でも人気だったりします。五輪真弓はアジア人に刺さる何かがあるんでしょうね。
その後、後に書くGlodok Plazaでタクシーを降り、そこから歩いてパサール・グロドック(グロドック市場)の方へと向かったのでした。
Halco Glodok
パサール・グロドックの手前に、Halco Glodokという新しめのビルがあることに気が付きました。2019年の時の写真を見るに、以前からあったビルのようですが当時はノーマークでした。通りから覗いてみると、電子・電気センター(Pusat Elektronik, Elektrik)という表記もあり、CCTVという文字やオーディオ機器なども見えたのでこれは電気街ビルだ…!と中に入ってみることにしたのでした。
しかしこの日は日曜日だったせいもあるのか、建物の中の大半のお店は閉まっていてなかなか寂しい雰囲気でした。
Halco Glodokの通りの向かいがパサール・グロドックなのですが、この通りを渡るための歩道橋が廃墟のようになっていて、違和感を感じ始めました。以前の訪問時はここもお店が並んでいたような気がするんだけどなあと思いつつ、迂回してパサール・グロドックの方へ向かいました。
ちなみにパサール・グロドックの隣にはこちらの”CHINATOWN JAKARTA”と書かれた中華風の門があります。グロドックは電気街である以前に、オランダ領東インド時代からの華僑が住む中華街としても有名なのでした。
パサール・グロドック
そして大本命、2019年に訪問した際は大変賑わっていたパサール・グロドックに到着です。エントランスにロゴが掲げられているPasar jayaというのはジャカルタエリアの市場を運営する公営企業のようです。ここは公営市場だったんですね。
さてどうなっているかな…と考えつつ中に入ってみると、びっくりするぐらい閑散としています。1階部分は多少、オーディオ機器などのお店が営業していますが、上層階は照明は点いているものの、下から見てもわかるくらい静かな雰囲気です。
最初に書いた通り、地上階は大きなスピーカーなどを売る音響機器ショップなどを中心に、数店舗が営業していました。以前はもっと賑やかで、食品類を売るお店も少しあったところからするとかなり寂しい状況でした。
そんなまさか…と思いつつ、上のフロアに移動して吹き抜けを見下ろしてみると、ご覧の通りほぼすべてのお店がシャッターを閉めています。最初は日曜日でお休みなのかと思ったのですが、シャッターに貼られている貸店舗というラベルや、空っぽになっているショーケースがただの定休日でないことを物語っていました。
各フロアを歩いてみると1フロアに1か所くらいはまだ営業している店舗があり、以前と同じく中古のゲーム機をニコイチ修理などで直して販売するお店が残っていました。吹き抜け沿いの回廊でPSone(懐かしい!)を直してブラウン管のテレビにSCEIのロゴを映していたおじさんにGoogle翻訳アプリを使って聞いてみたところ、やはりコロナ禍をきっかけにお店が激減したようでした。いつまでもあると思うな電気街、ですね…
もはや電気街と呼べるか怪しい規模になってしまったというか、着実に廃墟に近づいているパサール・グロドックを見てちょっとがっくりしてしまいましたが、先ほどGrabタクシーを降りたGlodok Plazaもちょっと電気街っぽい雰囲気があったので、歩いて戻って見てみることにしました。
Glodok Plaza
Glodok Plazaは上層階はカラオケやホテルなどが入っている大きなビルです。最初にGrabタクシーでグロドックにやってきたときも、バックパックを背負った明らかに旅行者という見た目だったからか、ここの上のフロアのホテルに泊まるのだと思われたようで、上の方のフロアの車寄せまで行ってくれたりしたのでした。
ちなみにこのGlodok Plazaですが、2025年1月15日に上層階のカラオケから出火し、死人の出る大火事となってしまったようです。パサール・グロドックといい、苦難の電気街です…
肝心のお店ですが、確かに1階はパサール・グロドックと同じように大型のスピーカーを扱うお店などを中心に何軒か営業していました。2階・3階部分もOA機器や監視カメラなどを扱うお店があり、今一つ賑わってはいないものの、確かに電気街だなという雰囲気を感じました。とはいっても、3階の奥の方にはおじいさんおばあさんたち向けのカラオケ喫茶のようなところもあり、ああやはり電気街というだけでは立ち行かないのね…と感じたりもしました。
ちなみに地下は地下で2024年の3月にリニューアルしてフードコートのようなエリアがオープンしたようでした。まだソフトオープニング期間だったようで何もない広いエリアもたくさんあり、そこで現地の若い子たちがダンスの練習をしたりしていました。この風景がなんとも日本の地方の空洞化しつつあるショッピングモールのような雰囲気で、きれいにリノベーションされているものの個人的には寂しさを感じてしまいました。
一通り建物の中をぐるっと眺めてから外でGrabタクシーを呼んで待っていると、車寄せのそばに何匹かのネコちゃんがやってきました。彼らには彼らなりの距離感があるんでしょうね。思い思いの位置取りでまったりしていました。
ITCマンガドゥアを覗く
Glodok Plazaを調査した後はジャカルタのもう一つの電気街エリア、ITCマンガドゥアへと向かいました。ちなみに”マンガ mangga”とはインドネシア語でマンゴーの意味です。”ドゥア dua”は「2」という意味です。どうやら以前はこのエリアでマンゴーが沢山採れたため、この辺りの地名がマンガドゥアとなったようです。マレーシアのブキッ・ナナス(パイナップルが丘)と並ぶフルーティーな地名です。
ここは確かに電気街ビルとしての要素もあるのですが、電気街だけでなく服なども多数売っていて、総合ショッピングモールという方が正しいかもしれません。なぜかインドネシアにはいっぱいあるA&Wを横目に、前日のジョグジャカルタでも入ったMIXIEでストロベリーフロートを飲んで一旦休憩しました。
中に入ってみると相変わらずのすさまじい勢いのお店と商品の陳列がお出迎えです。こちらの写真のビルがITCマンガドゥアで、通路でつながった通りの向こう側(南側)のマンガドゥアモールと併せて、電気街としての要素を持ったショッピングモールを形成しています。後に紹介するように、ITCマンガドゥア側にもいくらかスマートフォンやガジェットを売るお店があったりするのですが、どちらかというとマンガドゥアモール側の方が電気街としての色が強く、ITCマンガドゥア側はファッション関連のお店が多い印象です。
さて、ITCマンガドゥアに着いた頃にはもう午後2時になっていて、ジョグジャカルタの空港でご飯を食べてから飲まず食わずではさすがにしんどくなってきました。というわけでモール内で適当なお店を探してバクソを食べました。
バクソは牛肉のすり身を丸めて作った肉団子で、麺などと併せてスープに入れて提供されることが多い料理です。インドネシアの国民食なのですが、前回訪問時に食べ損ねていたこともあり、今回食べてみようと思っていたのでした。バクソ自体は結構噛み応えがある食感で、牛ダシの旨味のあるスープとフォー風の麺と合わせてすいすいと食べることができました。飲み物は歩き疲れたところに水分補給を兼ねてここでもポカリスエットをチョイスしました。
先ほど書いたようにITCマンガドゥア側はどちらかというとファッション関連製品のお店が多数を占めていますが、マンガドゥアモール側への通路を中心に、ヘッドフォンやスマートフォンを扱うお店も並んでいます。そこかしこで動画撮影用のリングライトが売られているのはイマドキという感じがします。
連絡通路を渡ってマンガドゥアモール側に移動すると、吹き抜けの下に各種ゲーミングPCブランドのショーブースが見えてきました。こういうブースが並ぶあたりはまだまだこのエリアが電気街としての地位を維持している証拠という感じがします。
マンガドゥアモールは以前からそうでしたが、スマートフォンよりはPC関連製品や、特に上層階ではOA機器などを扱うお店が多いような傾向を感じました。とはいえ、東南アジアでよく見るショーケースにずらっとスマートフォンの箱を並べて売るお店はこちらでも見かけたのでした。
モールの端の方にはレストランが集まるコーナーがありました。”HokBen”はなんと読むのでしょうか。日本人的には「ホカベン」と読みたくなってしまいますが…
余談ですが、インドネシア語やマレー語では”jaya”は勝利や成功といった意味があるため、あちこちで”~jaya”という名前のお店を見かけます。どうしてもこの語尾を見ると三軒茶屋とかの「茶屋」を思い起こしてしまうのは私だけでしょうか…
ちなみにマンガドゥアモールの入り口にもシンガポールで見かけたIJOOZのジュース自販機が置いてありました。結構ガンガン展開しているんですね。
ファタヒラ広場へ行く
ITCマンガドゥア周辺を見た後は、まあベタな観光地にも1つくらい行くか、ということでファタヒラ広場へ行きました。ここはオランダ領東インド時代に整備されたエリアで、洋風の建築に囲まれた大きな広場になっています。観光地でもあるのですが、ローカルの人々が休みの日に遊びに来るエリアでもあり、以前来た時も今回もかなりにぎわっていました。
お昼はバクソをささっと食べただけだったため、2019年の訪問時も行ったファタヒラ広場の名物レストラン、カフェ・バタヴィアにも行ったのでした。コロニアル様式が美しいおしゃれなレストランで高いのではないかと構えてしまいますが、まだまだ日本人にとってはお手頃な価格で楽しめるレストランだと思います。
メニューを見るとどれもおいしそうで目移りしてしまうのですが、今回はサテーとトウモロコシのフリットをオーダーし、インドネシアのナショナルブランドなビール、ビンタンビールとともに味わったのでした。ちなみに前日のジョグジャカルタ滞在時はお酒を飲んでいませんが、ジョグジャカルタはイスラム教国のインドネシアの中でもさらにお酒に対する規制が厳しく、コンビニでお酒が売られていないということもあってお酒を飲まなかったのでした。もちろん歩いてばかりで疲れてぐったりしていたというのもあるのですが…
カフェ・バタヴィアでしばらくのんびりした後は、空港へ戻るタクシーを呼ぶためにファタヒラ広場の外の通りへと向かいました。広場の中心部だけでなく、通りに出るところの風景やその背後の川のあたりの風景もなかなか趣があり、ここは再訪して正解だったと思っています。
通りに出てGrabタクシーを呼ぼうとしたタイミングで、道端でネコちゃん2匹に遭遇しました。警戒モードで対応されてしまいましたが、左側の子はなかなかカッコいい柄でした。右の子もいい感じの三毛猫ですね。三毛猫ちゃんはよく見ると黒の部分がしっかり縞模様になっていて、この子はこの子で結構独特な柄という気もします。
空港へ戻る
あっという間のジャカルタ滞在でやや名残惜しいところもありましたが、ファタヒラ広場からタクシーを拾ってスカルノハッタ国際空港へと向かいました。渋滞にハマると空港までの道のりは大変時間がかかるジャカルタですが、今回は渋滞にはハマらずにすいすいと空港にたどり着くことができました。空港の出発ロビーからセキュリティチェックエリアに入るところが写真のように派手にライトアップされていましたが、果たしてどういうコンセプトだったのかは謎です…
セキュリティチェックを抜けるとなぜか並みに下駄が巻き込まれているちょっと不思議なイラストの描かれたお店があったりしましたが、そこには入らずプライオリティパスで入れるラウンジへと向かいました。先ほどカフェ・バタヴィアでサテーを食べたのでここでは食事はあまり食べず、カールスバーグを飲んでゆっくりしました。その後飛行機に乗り、月曜朝の7時前の羽田空港へと到着しました。そこからのエクストリーム出勤がなかなかしんどかったのは言うまでもありませんが、ともかく無事に日本に戻ってくることができたのでした。
以上、2024年6月のインドネシア旅行記、Part2・ジャカルタ編でした。最初にも書きましたが、ジャカルタ編と書きつつほぼほぼ電気街調査編でしたね。ジャカルタは観光地らしい観光地が人口の割には少ないとは言われますが、次回訪問するチャンスがあったらもう少しインドネシアのグルメもあれこれトライしてみたいところです。次回は今回に引き続きSFC修行で行ったマレーシアとシンガポールの旅行記を書く予定です。お楽しみに!