2023年8月の韓国旅行記、福岡&プサン編に続いてソウル編です。ソウルは訪問したことがすでにあったのでちょっと変わった訪問先にも行きました。

ソウルに到着

プサンから3時間弱のKTXの旅を経て無事にソウルへと到着しました。プサン編に書いた通り、知らない人と対面座席だった以外は快適な鉄道移動でした。

ホームからコンコースに上がったところに駅弁屋さんがあることに気が付きました。台湾では駅弁を何度か食べましたが、韓国にも駅弁文化があるんですね。

臨津江へ行く

さて、ソウルはすでに訪問したことがあったので、今回はちょっとひねってこちら、臨津江駅へ行ってみました。ソウル駅から電車にひたすら乗って1時間半ほどでたどり着くのがこちらの臨津江駅です。もしかすると「臨津江」と書くよりは「イムジンガン」と書く方がピンとくる方も多いかもしれません。

そう、ここは韓国と北朝鮮の軍事境界線にほど近い臨津江(イムジン川)のそばの駅なのです。駅名標にはソウルと平壌までの距離がそれぞれ書かれています。この路線は朝鮮戦争前はここから平壌、さらに中朝国境の新義州/丹東…と接続されていました。現在のこの路線の終着駅はもう一つ先の都羅山駅なのですが、都羅山駅は一般人の入境が規制されている民間人出入統制区域内にあることと、都羅山駅行き列車はほぼ運行されていないことから、観光客が気軽に手続きなしで行くことができる終着駅はここになります。

気軽に…とはいうものの、そんなに周囲にあれこれあるわけではないこともあり平日は一日2往復、土休日は4往復のみの運行です。

さて、この臨津江駅周辺、立地が立地なので栄えていたりはせず、特にお店もありません。こんな感じの道をしばらく歩いて目的地へと向かいました。

看板に従って真っすぐ歩いていくとイムジンガク、と書いてある看板が見えてきます。臨津江駅で降りた人は基本的にここに向かっているので、迷わないと思います。

イムジンガクは漢字で書くと臨津閣となります。というわけで読んで字のごとく臨津江沿いに建つ建物です。ここの屋上には展望台があり、臨津江の向こう側の軍事境界線エリアが見える…はずだったのですが、この時は改装工事で肝心の展望台に行くことができなかったのでした。

仕方がないので、とりあえずソウルに着いてから何も食べていなかったこともあり、レストランでビビンバを食べつつ作戦を考えることにしました。

DMZに入る

レストランでご飯を食べた後は、臨津閣のそばから出ているゴンドラに乗ってDMZ(非武装地帯)内に入ってみることにしました。保安上の理由から軍の設備の写真は撮影しませんという旨の誓約書に一筆書いて、ゴンドラ乗車券(兼DMZ入場券)を購入しました。チケットカウンターには少し列がありましたが、そこまで待たされませんでした。ちょっと凝ったデザインのチケットだったりして、観光地化されているのは危険度が低い証拠のような気もするのですが、分断1の固定化の証拠でもあるような気がしてちょっと複雑な心境になりました。

チケットを買った後はこちらのゴンドラに乗って臨津江の向こうのDMZへと向かいます。なかなかしっかりしたゴンドラで、何組かで相乗りでした。

ちなみに床がスケルトンになっていて臨津江などの風景を見ることができました。水が清いかというと…どうかなぁという感じでした。2

DMZの中には平和を祈るリボンをつけるエリアやフォトジェニックなブランコ、柵の外はまだ地雷が埋まっている可能性があることを示す看板があったりしました。ちなみに小さいお土産屋さんもあり、そこで売っていた昔の北朝鮮紙幣のセットをうっかり買ってしまいました。

ちなみにこのDMZは米軍が駐屯していた歴史があり、米軍がボウリング場として使っていた施設をミュージアムに改装した”Gallery Greaves”という施設もありました。ちなみにこの時はプサンからホテルに立ち寄らずに臨津江に向かったこともあり、バックパックを背負ったままでした。しかしゴンドラの駅からこの施設までがなかなかエグい坂で、夏場ということもあり結構辛かった覚えがあります。

しばらくDMZ内を観光した後、帰りの電車に間に合うようにゴンドラに乗りました。ちなみに、戻ってきたところには戦闘機からの銃撃を受けた機関車や当時の駅名標を復刻したモニュメントがありました。ソウルまでは53km、南北合同事業として有名な工業団地のあるケソン(開城)までは22kmと書いてあります。ソウルまでの距離は臨津江駅の駅名標にも書いてありましたが、ケソンもかなり近いんですね。これらの展示や臨津閣近くの遊園地の様子を少し眺めてから臨津江駅へと戻り、来た時の逆順でひたすら電車に乗ってソウルに戻ったのでした。

明洞で晩ごはんを食べる

さて、臨津江駅からひたすら電車に乗ってソウル中心地に戻り、明洞のホテルにチェックインしたころにはもうすでに晩ごはんの時間になっていました。というわけで、適当に見つけたお店でまずはビールです。ちなみに店員さんに英語で話しかけられたのでそのまま英語でやり取りしていたのですが、その店員さんはほぼ同タイミングで入ってきた隣の日本人のお客さんには日本語で話しかけていてずっこけたのでした。

メインディッシュは豚肉のコチュジャン炒めです。ピリ辛でビールが進む味でした。

ご飯の後少し明洞をぶらぶらしていたらこちらの看板を見つけました。このくらいの構えで人生やっていきたいものです。

ホテルに戻る道中に立ち寄った観光客向けのスーパーでかわいいデザインのオレンジジュースを見つけたので買ってみました。済州島産のオレンジで作ったジュースだそうです。

チーズタッカルビチャーハンを食べる

ソウル2日目の朝はまた韓国らしいものを…ということで検索して出てきた朝からやっている鉄板料理レストランへ行き、チーズタッカルビチャーハンとキンパを食べました。結構がっつりな朝ごはんになってしまいました…

レストランのそばには日本でも見かけるようになった電動スクーターが停まっていました。この頃にはもう結構各国で見るようになっていましたね。

電気街調査・その1

さて、腹ごしらえが済んだ後は電気街調査です。ソウルは過去に調査したこともありますが、コロナ禍を経ての変化も含めてもう一度調査に出向きました。ソウルは電気街がいくつかあるのでこの日はほぼ一日電気街を調査していました。

龍山電子商街

まずは毎度おなじみ、龍山駅そばの龍山電子商街からです。駅から一番遠い側のETランドから見ていきました。

1階のサムスンのショップでは縦折り(っていうんですかね?)タイプの折り畳みスマホの展示がありました。結構力を入れてPRしている印象でした。

前回ETランドを訪問した際はお休み中だった地下の電子部品店にも行くことができました。この部品棚の壁、いいですよねえ。通販にはない良さです。

上の方のフロアもぐるっと見て回りました。LPレコードやカメラなど、AV機器関連の中でも趣味性の高いものが売られている印象です。

その他にもYouTube配信用のスタジオができていました。これはコロナ禍前はなかったように思います。イマドキな施設といえそうです。

ちなみに龍山電子商街の中でも見た目が古いナジン12号館はこのとき封鎖されてしまっていました。後ろの新しいビルとの対比が対照的です。ナジン12号館をはじめ、周囲の建物はだいたい2階建てなので、駅にもソウル中心部にも割と近いエリアとしては今となっては贅沢な土地の使い方ではありますね。

次に向かったのは龍山電子商街の中ではETランドに次いで賑わっている(と勝手に思っている)ソニン21・22号館へと向かいました。入口を見るからにという感じではありますが、ここはPC周りの製品が主力の電気街です。

ソニン21・22号館は中にこんな感じの小さい店舗がびっしり並んでいます。上の方のフロアだと新品販売というよりは修理業者の比率が上がるせいか、廊下に山のようにジャンクが積まれていてなかなか迫力があります。東京・秋葉原とも深圳・華強北とも違う雰囲気があるので個人的にはちょっと覗いてみるのをお勧めしたいスポットの一つです。

鍾路3街周辺

次に向かったのは鍾路3街駅周辺です。ここは2019年にソウルを訪問している時に金沢大学の秋田先生(@akita11)にこの辺りにメカトロ部品街があると教えてもらって見に行ったことがあるのですが、その時は日曜日でお店がことごとく閉まっていたのでした。今回は無事に営業しているお店を見ることができました。確かにメカトロ系の機器のパーツを扱うお店がずらっと並んでいますね!

細い路地を歩いていき、大通りに出るところまで行くと工具屋さんがありました。この森林のごとくひしめき合う工具類、お店の人は何がどこにあるか把握しているのでしょうか…

世運商街

もう一度メカトロ部品街を通り、再度鍾路3街駅周辺に戻ってきてから向かったのはこちら、世運商街です。ここも2019年に外からだけは見ていたのですが、当時は中に電気街があるのを知らなかったのでした。

中に入ってみるとこちらも細い通路の左右にびっしりとお店の商品が並んでいました。オーディオ機器や無線機、防犯カメラなどを扱う店舗が多い印象でした。

ちなみに2階の外周部がペデストリアンデッキになっていて、こちら側にもお店が並んでいました。なかなか規模の大きい電気街です。この辺は龍山電子商街ができる前の中心的な電気街エリアだったようです。

広蔵市場でユッケふたたび

さて、世運商街を調査した後は近くの広蔵市場へ向かいました。ここも2019年にも訪問しています。

もうお昼を過ぎていたのでお昼ご飯にユッケ・レバ刺し・センマイ刺しのセットをいただきました。プサンでもレバ刺しを食べたのでそろそろビタミンAの摂りすぎなのではないかと思いつつ、全部食べてしまったのでした。

サムギョプサル定食を食べる

レバ刺しはしっかり堪能したのですが、そういえばサムギョプサルをまだ食べていなかったなと思い、一人で食べられるサムギョプサル定食のお店があると聞いて新村駅周辺に向かいました。

この辺りは大学が多いこともあって若者向けのちょっと小洒落た街になっているようです。ストリートピアノも置いてありました。思いっきり雨に降られそうですが大丈夫なのでしょうか…?

そして少し歩いてお店に入り、こちらのサムギョプサル定食をいただきました。おいしいはおいしかったのですが…やっぱりサムギョプサルは焼きながら食べたいですね。

電気街調査その2

新道林テクノマート

さて、お昼ご飯を食べた後は再び電気街調査ということで、新道林(シンドリム)駅そばの新道林テクノマートへ行きました。2019年に訪問した江辺(カンビョン)テクノマートの姉妹店舗で、こちらが2店舗目になります。

雰囲気は江辺店と同じような感じで、中規模のカウンター型店舗がずらっと並んでいるフロアがありました。

白物家電や家具、ガンプラなどのホビー商品の店舗がある点は江辺店とちょっと違う特徴といえそうです。

ちなみに、新道林テクノマートの5階にはなぜか警察署が入っています(フロアガイドがブレブレですが…)なんでまた5階なんて微妙なところに警察署が…とかなり不思議でした。しかし、新道林テクノマートの警察署は最後に向かった江辺テクノマートの衝撃に比べればまだ序章に過ぎなかったのでした…

九老機械工具商業団地

新道林テクノマートから新道林駅に戻り、一駅隣の九老(クロ)駅のそばにあるメカトロ部品街、九老機械工具商業団地へ行きました。ここはプサン編に続き、いしかわきょーすけさん(@qx5k_iskw)に教えてもらいました。ご覧の通り、結構大きな倉庫のような建物が何棟か連なっています。

建物と建物の間にはこのような通路があり、通路に面するようにいくつものメカトロ部品店が並んでいます。当たり前といえば当たり前なのですが、機械油の香りが結構して独特な雰囲気です。ちなみにそれぞれの建物は地上3階+地下1階建てで、上にも事務所などがあるようでした。いしかわさんによると地下には食堂があったりしたということだったのですが、この時は私は(ややビビって)訪問しなかったのでした。

九老中央流通団地

九老機械工具商業団地からさらに先に進むと、今度は九老中央流通団地が見えてきます。こちらは産業用の電子機器などを取り扱うお店が並んでいる電気街です。

先ほども書きましたが、電子部品というよりはFA機器などを取り扱うお店が多い印象でした。隣の機械工具商業団地と合わせて、これだけの規模の商業団地が成立しているのはそれだけ工業機械関連の需要があるからだよなあと感心してしまいました。

江辺テクノマート

九老まで戻り、次に向かったのはこちら、2019年にも訪問している江辺テクノマートです。

新道林テクノマートもそうですが、江辺テクノマートもソウルメトロの駅から直結でかなり便利です。

そして順にフロアをめぐっていきます。以前から普通のショッピングフロアになっている1階から2階に移動した時点では以前と変わらない売り場だなぁと思っていたのですが、異変は3階・4階にありました。

な、なーんと豪快にも3階の一部と4階は改装されて結婚式場になっていたのでした!コロナ禍とECへの移行とで電子機器店では採算が取れなくなってきてしまったのでしょうか。新道林テクノマートの警察署もなかなか不思議でしたが、電気街ビルだったところにいきなり結婚式場ができていたのには2022年にシムリムスクエアに再訪したら最上階にキャバクラができていた時の衝撃を思い出しました。いつまでもあると思うな電気街、ですね。

ちなみに5階から上は以前の通りスマートフォン売り場などが並んでいました。なぜかテクノマートはスマートフォン関連の店舗が上の方のフロアにあるんですよね。普通はコンシューマー色の強い製品ほど低層階に置くような気がするのですが…

ちなみに9階にはレストラン街があるのですが、タンポポという名前の和食料理店がありました。ロゴがちょっとおしいです!

ちなみに店舗の一部に楽器店があり、ちょっと眺めていたら日本ではあまり見かけないカーツワイルの電子楽器が置いてありました。はて、と思いこのとき調べたところ、1990年から電子楽器メーカーとしてのカーツワイルは韓国資本の傘下になっていたのでした。

仁川空港へ

江辺テクノマートを出た後は明洞をぶらぶらし、お土産にHBAFのハニーアーモンドやプルダックポックンミョンなどを買い、仁川空港へ向かって移動しました。今回は朝8時前のフライトということで、前日のうちに仁川空港の近くの宿へと向かう作戦にしたのでした。

今回選んだ宿はチェックイン時はスマホで連絡してください、となっていてコロナ禍の非接触対応を続けているのかな、と思っていたのですが、実際に宿の住所に向かってみるといわゆるサービスアパートメントが建っていて、そこの部屋を貸し出しているというタイプの宿でした。明洞で今一つピンとこなかったこともあり、仁川に移動してから何か食べようと思っていたのですが、周りにはレストランはなかったのでこの日の晩ごはんはコンビニごはんとなってしまったのでした。

ちなみにこの頃は韓国含め各所でトコジラミの話題がかなり盛り上がっていたことと、8時前のフライトに乗るために5時には部屋を出ないといけないということもあり、照明をつけたまま仮眠を取るような感じで寝たのでした。

翌朝(といっても数時間後ですが)は無事に起きてすんなりとチェックインすることができました。出国審査の後はラウンジで最後の韓国ビールを飲みつつ朝ごはんを食べ、飛行機に乗って成田空港へと戻っていったのでした。

以上、2023年8月の韓国旅行記・ソウル編でした。次回は同じく8月の東南アジア旅行記になります。お楽しみに!

  1. と言っていたら北朝鮮側が統一を放棄したという報道もありましたが…
  2. わからない人は「イムジン河」で検索してみましょう!
公開日:2024/12/22