2025年4月のメキシコ・チリ旅行記、バルパライソ編に続いてチリの首都・サンティアゴ編です。

バス停に到着

バルパライソのバスターミナルから行きと同様長距離路線バスに乗り、行きと同じバスターミナルに到着…と思いきや、違うバスターミナルに到着しました。これは予想外…と思いつつも、目の前に地下鉄の駅があったので地下鉄でサンティアゴの中心部へと向かうことにしました。

バスターミナル直結の駅ということもあってか、かなり大規模な駅でした。サンティアゴ~バルパライソ間の高速道路といい、チリの都市部のインフラの整備度合いはやはりなかなかのものだなとここでも感心したのでした。

さて、バルパライソ~ビーニャデルマールの間の鉄道と同様、サンティアゴの地下鉄もICカード乗車券を採用しています。というわけで、券売機でbip!カードというICカードを購入の上、料金をチャージして改札へと向かいました。

改札へと向かう通路には日本の大きめの駅のようにコンビニやベーカリー、カフェなどが並んでいたのですが、そこに1匹のワンちゃんがいました。どうやら前足をケガしているようですが、きちんと手当てされています。首輪も付けているので一応飼い犬なのでしょうか?「足が痛いんですよぉ~」とでも言わんばかりに馴染みであろう清掃員さんにすりすりと寄って行きました。周囲を歩く人もニコニコしながらその風景を見守っていました。なるほどこんな感じに日頃からかわいがられているのならばそりゃあチリのワンちゃんたちはみんな穏やかなわけだなあ…と思ったのでした。

アルマス広場周辺を歩く

ホテルにバックパックを預かってもらおうと思い、地下鉄でホテルのあるアルマス広場周辺へと移動しました。アルマス広場の周辺はサンティアゴの旧市街の中でも賑わっているエリアで、写真のようなきれいなデパートもありました。メキシコシティに続き、ここにもメイソウがありました。さすがです。

デパートでトイレ(有料でしたがきれいでしたね)を借りた後、ホテルに行きフロントでバックパックを預かってもらおうとしたところ、なんと荷物預かりはやっていないと言われてしまいました。がっくり来ましたが仕方ないのでバックパックを背負ったままアルマス広場へと歩いて行きました。アルマス広場の周辺は写真の通り、古いヨーロッパ調の建物もあれば新しいガラス張りのビルもあり、なかなか都会の趣がありました。

ちなみにさすがにずっとバックパックを背負って移動はしんどい…ということで、後述の電気街調査の後に別のホテルを取ってそちらに荷物を預かってもらいました。新たに取ったホテルはお値段の割になかなかいい感じだったのでまあ結果オーライですね。

デパートのエリアから少し歩くとアルマス広場に到着です。ちなみに「アルマス広場」というのは「武器広場」という意味です。スペイン領時代に兵士が武器を受け取るための集合場所だったことに由来します。また、そういう経緯から「アルマス広場」という名前の広場はスペイン語圏の各地で見られるようです。

アルマス広場には立派な騎馬像が建っていました。馬にまたがっているのは初代チリ総督のペドロ・デ・バルディビアだそうです。ちなみにその背後の建物はサンティアゴ市庁舎になります。市庁舎に限らず、アルマス広場の周囲はクラシックな建物に囲まれていて、なかなかおしゃれな広場でした。

大聖堂を見学する

先ほども書いた通り、アルマス広場の周囲はクラシックな建物に囲まれていますが、その一角を占めるのがこちらのサンティアゴ大聖堂です。この建物は1700年代後半に建設が始められ、のちに何回かの改修を経て現在に至るようです。

大聖堂の内部はなかなかクラシカルかつ荘厳な雰囲気でした。この旅の最初に訪問したメキシコシティのメトロポリタン大聖堂、そしてこちらのサンティアゴ大聖堂と見学して、ラテンアメリカ圏の大都市は私の(勝手な)想像よりもはるかに歴史も規模もあるのだなあ…と改めて思ったのでした。

電気街を歩く

アルマス広場をぐるっと回った後はサンティアゴの電気街を調査しに行きました。サンティアゴの電気街はサンディエゴ通り(ややこしい!)沿いにあります。地下鉄3号線のParque Almagro(アルマグロ公園)駅まで移動し、そこから歩いて向かいました。ちなみに、電気街だけを見るのであればアルマス広場駅から見てもう一つ先のMatta駅まで移動して戻るような感じの方が近いかもしれません。

駅名の通り、駅を出たところには公園があります。その公園と面している通りがサンディエゴ通りなので、Googleマップの情報を頼りに通りを南に歩いて行きます。アルマス広場周辺と違っておそらくあまり観光客は来ないエリアだということもあり、落書きが多かったりちょっと夜は歩きたくないかも、という雰囲気がありました。日中は問題ないと思うのですが…

サンディエゴ通りを南に歩いて行くと、電気街が現れる前に自転車ショップが多数並ぶエリアにさしかかりました。写真の通り子供用から大人用まで幅広く扱っている店や、シマノのロゴを掲げたお店など、いくつもお店がありました。チリは同一カテゴリの店が一つの通りに並ぶ文化の国なのかもしれませんね。東京のかっぱ橋道具街ではないですが、お店がそういう風に並んでいる国は結構あるんですよね。

さらに南に歩いて行くと、PCの販売や修理を行うお店がちらほら現れてきました。イースター連休を使っての旅行だったこともあり、お休みのお店が多かったですが、各国の電気街でありがちなPC販売・修理店、防犯カメラ関連のお店などが並んでいることは確認できました。

さらに歩いて行くと電子部品店もありました。結構広く、工具から電子部品までいろいろ置いていそうな雰囲気でした。入口にショーウインドウがあるのがなかなかいいですね。

ちなみに互換機でしたがArduinoも売っていました。これだけいろいろ揃っていれば、結構色々な電子工作ができそうです。

ひとしきり電気街エリアを歩いた後は、再び地下鉄に乗るべく駅まで戻っていきました。しかし、前述の通りこの時はまだバックパックを背負っていたこと、また快晴だったためそこそこ暑くだいぶヘロヘロになってしまいました。

中央市場へ

電気街の調査の後は観光がてら中央市場へ行きお昼ご飯を食べることにしました。中央市場へも地下鉄で向かいました。サンティアゴの地下鉄網はかなり充実していていいですね。

外の風景の写真でもかなりに賑わっているのが分かるかと思いますが、市場の中もかなりの人でごった返していました。さすがは太平洋沿岸の国、海鮮の充実度は目を見張るものがありました。

市場を歩いて行くと端にレストランが集まったエリアがありました。ミーハーですがそのエリアの中央にある一番大きいレストラン、”Donde Augusto”に入ってみました。

こちらでもバルパライソに続いてパイナップルジュースをオーダーし、メインディッシュはセビーチェ、そしてチリ名物のコングリオのグリルにしました。コングリオ、というのは3枚目の写真のシーフードクリームソースの下に隠れている白身魚で、アシロという魚の仲間です。チリ周辺の深海に棲む魚で、ぷりっと弾力がありおいしい白身でソースともなかなかマッチしていました。

ちなみに翌日もお昼は中央市場で食べました。2日連続同じ店というのは芸がないと思い、市場の入り口近くのお店に入ったのですがちょっといまいちでした。コングリオのフリットは骨ばっていてちょっと食べにくかったですね…

モネダ宮殿を眺める

中央市場でお昼ご飯を食べた後は、ホテルのチェックイン時間までもう少し時間をつぶすべく、旧市街の観光スポットの一つ、モネダ宮殿へと向かいました。モネダ宮殿は現在のチリ大統領官邸ですが、元々はスペイン領時代に造幣局として建設された建物です。造幣局にしてはずいぶんと威厳のある建物という気もしますが、だからこそ大統領官邸に転用できたのでしょうね。

モネダ宮殿の近くには行政機関が入居する建物が多数あります。1枚目はサンティアゴ都市圏(首都州)の事務所、2枚目の写真は最高裁判所の写真です。どちらもなかなかヨーロッパ風のクラシカルな建物でした。

ふたたび街歩き

モネダ宮殿の周辺を歩き回った後はチェックインのためにホテルへと向かいました。道中「世代」という不思議な名前のスシバーを見かけました。不思議だなあと思いつつも、LDH JAPANのグループ1も逆に海外で不思議な名前だなあと思われているのだろうと考えてしまい、まあお互い様だよね…と一人で納得していたのでした。

ホテルのすぐそばにはティフアナでもお世話になったコンビニのOXXO(オクソ)があったので水などを買うべく立ち寄りました。バルパライソでもサンティアゴでもレストランに置いてあったのでパイナップルジュースはきっとコンビニでも売っているだろうと考えてジュースの棚も見てみると、やはり缶のパイナップルジュースが売られていました。コーラなどよりはちょっと高いですが、格別においしいので滞在中何度も買ってしまいました。南米に行かれる方はぜひパイナップルジュースを探してみてください!

夕方になってまたホテルの周りを散策しました。ここまでにもいくつもヨーロッパ風の建物を紹介していますが、私が泊まったサンティアゴの旧市街エリアは本当にヨーロッパ風の歴史を感じさせる街並みがあちこちに残っていました。1枚目の写真はスベルカソー宮殿という建物です。建てられた1900年代初頭は銀行家のスベルカソー氏の邸宅として使われ、現在はチリ空軍将校クラブの施設として使用されているそうです。2枚目の写真の建物はサンティアゴ市立劇場で、スベルカソー宮殿と道を挟んで向かい合っています。

炎天下の中バックパックを背負ったまま電気街調査で小一時間歩き回ったせいかさすがに疲れてしまい、夕方の散策から戻ってうっかり寝て起きたらかなり遅い時間になっていました。正直お昼に食べ過ぎてそこまでお腹が空いていなかったので、近くで夜遅くまでやっていたエンパナーダ屋さんでエンパナーダを買ってきて晩ごはんにしました。

サンタ・ルシアの丘へ行く

翌朝はホテルをチェックアウトする前に、朝の散歩ということでサンティアゴの二大有名な丘(?)のうちの一つであるサンタ・ルシアの丘へと向かいました。

丘の入り口には1枚目の写真のネプチューン・テラス(Terraza Neptuno)と名付けられた、噴水を備えた展望台があります。丘のてっぺんからするとここはだいぶ低い位置なのですが、すこし切り立った崖のようなところに立地しているので道路の向こうの住宅街までの間の空間はそこそこ開けていました。いまでこそマンション群を一望できる、という感じになっていましたが、マンション群が建つ前はそこそこ遠くまで見通せたのでしょうね。

さて、ここから丘の遊歩道に進んでいくにあたり、入場のために名前と連絡先を書かされました。出るときは特に何もチェックする場所がないところから出ることができたので、いまだにあれがいったい何のための記録だったのか不明です。とにもかくにも、ここから丘のてっぺんを目指して歩いて行ったのでした。

遊歩道は勾配を少なくするためか、蛇行しながら丘の上へと続いていました。道沿いの木々はやや紅葉していたりと、なるほど南半球の秋、行楽シーズンなのねと一人納得していたのでした。

ちなみに道中には彫刻がちらほらと配置されていました。こういうところにも犬の彫刻があるあたり、やはりチリの人々は犬好きなんだろうなという気がします。

ちなみに野良っぽい本物のワンちゃんもいました。足の先のワンポイントの白い柄がいいですね。

丘の上のあたりに差し掛かるといくつかレンガの建築物が見えてきます。ここサンタ・ルシアの丘にはスペイン領時代末期、一度サンティアゴに成立した自治政府を再度スペインが抑え込んでいた「再征服」時代に軍事拠点として、弾薬庫や砲台が建設されていました。その一部が今でも残っているというわけです。

ちなみにこちらの石づくり(といっても内部はレンガだそうですが)の建物はサンタ・ルシアの丘を都市公園に変えることを計画したサンティアゴ市長、ベンハミン・ビクーニャ・マッケンナとその家族の墓廟だそうです。教会のような見た目です。

サンタ・ルシアの丘はそこまで高い丘ではありませんが、街の中にあることもあり丘の上からの眺めはなかなかのものです。写真でもサンティアゴの市街地が結構広範囲に広がっていることがお分かりいただけるでしょうか。また、ビル群の背後に見える山々はかのアンデス山脈です。あまりに壮大すぎてまるで後から山を合成したような写真になってしまったなと思ったのでした。

ちなみにこの写真左側に見えるのはサンティアゴのもう一つの有名な丘、サン・クリストバルの丘です。そして写真の中央少し右寄りに見える細長い高層ビルはこの後訪問する南米で一番高いビル、コスタネラセンターです。

メルセド教会を覗く

サンタ・ルシアの丘からホテルに戻ってくる道中にこちらのメルセド教会がありました。滞在中何回もここの前は通っていたのですが、ふと覗いてみると拝観時間内だったのでこのタイミングで見学させてもらいました。

この教会は1760年代に創立され、現在の建物は1850年代から建設された3代目の建物だそうです。アルマス広場のサンティアゴ大聖堂に比べると少し小さいとはいえ、こちらも負けず劣らずの荘厳さの教会でした。

また入り口のステンドグラスも上品な雰囲気でした。教会を見学する際はつい入って正面の祭壇とその周りに目が行きがちですが、意外と背後の入り口部分にあるステンドグラスやパイプオルガン(入り口の上に設置されていたりしますよね)なんかも見どころだったりするんですよね。

新市街の展望台へ行く

メルセド教会からホテルに戻り、荷物をまとめてホテルをチェックアウトした後はサンティアゴの新市街へと行ってみました。サンティアゴ市街は宿泊していたホテルやアルマス広場のある旧市街と、少し離れた新市街に大きく分けることができます。ここまで紹介したように、旧市街はなかなかクラシカルな雰囲気ですが、新市街は対照的にイマドキの大都会という雰囲気だと聞いていました。そんなわけで、先ほどサンタ・ルシアの丘からも見えていた新市街にあるコスタネラセンターに行ってみました。

ところで、このコスタネラセンター、2024年5月のマレーシア旅行記でも触れているThe Exchange 106にちょっと似ていると思うのは私だけでしょうか…?

このコスタネラセンターにはスカイ・コスタネラという展望台があります。海外の展望台あるあるですが、入場料は3300円ほどとそこそこいい値段がします。とはいえ南米で一番高いビルの展望台、と言われたら行かないわけにはいきません。チケットを買ってエレベーターでスタッフさんの流れるような紹介(これも海外の展望台あるあるですね!)を聞きつつ展望台へと向かいました。

展望台フロアには各国の超高層建築物との比較パネルもありました。一番高いのが上海の上海環球金融中心(2008年竣工:492m)で次にペトロナスツインタワー(1998年竣工:451.9m)だったりするのを見ると、このビルが建てられた2009年時点の超高層ビルのランキングと有名度を考慮したビルのチョイス2のようです。

ちなみに5つ目がコスタネラセンター(300m)、その次の半月状に見えるのがパナマにある旧トランプ・オーシャンクラブ、現在のJWマリオット・パナマ(293m)です。このチョイスは不思議だなと思っていたのですが、この記事を書くにあたり調べたところこのJWマリオット・パナマはコスタネラセンターができるまでの間、ラテンアメリカで一番高いビルだったそうです。

ちなみに展望台フロアはこんな感じの吹き抜け構造になっています。雨季はどうしてるんでしょう…?

肝心の展望台からの眺めですが、さすがは南米で一番高いビルというだけあって、サンティアゴの市街を眼下に見下ろす、といった感じです。そしてここでもアンデス山脈の壮大さがありありと堪能できたのでした。

展望台から降りてきた後は低層階のショッピングモールをぶらぶらとしました。ご覧の通り、なかなかきれいなショッピングモールです。日本だとこういう高層ビルの中の縦方向に長いショッピングモールはあまり見かけませんが、東南アジアなどでよく見かけるモールと同じような雰囲気でした。ちなみに2枚目の写真の通りH&M HOMEというお店がありました。H&Mはこういう雑貨店もやってたんですね。

コスタネラセンターをぐるっと見終わった頃にはお昼をとうに過ぎていました。コスタネラセンター内でなにか食べようかとも思ったのですが、ああいうショッピングモールにはかえってローカルなレストランがなく、ここでハンバーガーを食べるというのも違うよなと思い、お昼ご飯を食べるべく地下鉄で中央市場へと向かったのでした。最初の方で書いた通り、ここでハズレを引いてしまったのですが…

ちなみにコスタネラセンターの最寄り駅はトバラバ駅なのですが、ネーミングライツの契約があるのか、1枚目の写真の通りGalaxy AI駅、という別名が付いていました。2019年にインドでVivo駅を見て以来のスマホ関連の駅名でしたね。

中央駅に行ってみる

中央市場でお昼ご飯を食べた後は、行けば何かあるだろうと思ってサンティアゴ中央駅へと行ってみました。中央部分の大屋根がなかなかの迫力です。大屋根部分のの奥側から列車が入ってきて真ん中で行き止まりになっている、ヨーロッパ式の駅でした。

ちなみに大屋根の下はこんな感じになっています。大きなチェス盤もあって、みなさん思い思いにぶらぶらしているという雰囲気でした。

ちなみに中央駅は駅ビルとでもいうのでしょうか、専門店が集まる建物が併設されていました。そこの通路ではご覧の通りワンちゃんがスヤスヤと寝ていました。バルパライソで見たワンちゃんといいこの子といい、スペイン語圏だしシエスタの習慣でもあるのだろうか…と思ってしまう快眠具合です。

サン・クリストバルの丘のふもとへ

中央駅を見学した後アルマス広場の周辺をぶらぶら歩いたりしてから、夕焼け時がおすすめと言われているサンティアゴのもう一つの丘、サン・クリストバルの丘へと向かいました。しかし思いのほかたどり着くのに時間がかかってしまい、上の写真のケーブルカー(フニクラ)の乗り場で、今から上に行くのは暗くなるから危ないよ、と止められてしまったのでした。サンティアゴはLATAM航空のハブになっていたりもするので他国への乗り継ぎ等、チャンスを見てサンティアゴ、そしてサン・クリストバルの丘にリベンジしたいところです。

たしかに結構暗くなってきているし仕方あるまい、と歩いて地下鉄の駅まで戻っている道中、こちらのビアガーデンのような施設があるのを発見しました。なかなかいい雰囲気だったのですが、そろそろ空港に向かう時間も迫っているしと少しだけ歩いて中を覗いて撤退したのでした。

さらに歩いていると川の向こうに夕焼けとアンデス山脈が見えました。ケーブルカー乗り場から少し歩いただけでこのくらい暗くなってくると考えると、たしかにあのタイミングで丘の上へ行くのは危なかったかもしれません。

空港へ戻る

サン・クリストバルの丘から地下鉄でホテルに戻り荷物を回収し、そこからさらにUberに乗って空港へと戻ってきました。

チェックインを済ませてから土産物店を覗いてみるとなんとモアイ像をフィーチャーしたなかなか斬新な棚がありました。立っているものはモアイ像でも使え、ということでしょうか…

保安検査を通って出発エリアに移動してから、そういえばチリに来たのに赤ワインをまだ飲んでいなかったなと気が付いたのでレストランで晩ごはんにステーキと赤ワインを頂きました(ビールも飲んでますけどね!)。なかなかのおいしさでした。

さて、ワインにステーキを食べたところでさあ搭乗、となったのですがなんと搭乗口で搭乗券をスキャンしてもエラーが出ます。何かと思えば座席変更だ、と係員さんに言われたのでした。ここからロサンゼルスまでの11時間の長距離フライトだったので、壁に寄りかかって寝られるように窓側を事前にお金を払って予約していました。しかし聞いてみれば変更先のシートは3列配置の真ん中席だと言います。いやいや、お金払って予約しているのにそれはおかしくない?と反論してみたところ、すんなり元のシートに戻ったのでした。

世間的にはやや評判の悪いLATAM航空だったのである程度構えていたこともあり、予想よりはスムーズな旅行だったなあと思っていたのに、最後の最後にやられたなあ、と思いながら飛行機に搭乗しました。乗客全員の搭乗が終わってみると、私の列の真ん中席は空いていました。ここからは推測になってしまいますが、真ん中席が空いているからと、別の真ん中席に指定されていたお得意様か誰かと座席を交換させようとしたのではないかと思います。いやはや、油断なりません…

なお、乗ってからのCAさんのサービスや機内食などはごくごく一般的なクオリティだと感じました。ちなみに最近はよく寝るために機内ではお酒を飲まずに水かジュースにしているのですが、往復ともにCAさんに「せっかくなのにお酒飲まないの?アハハ」って言われたのがなんともラテン系だなあ…とちょっと思ったのでした。

ロサンゼルス空港で暇をつぶす

長い11時間のフライトを経て、帰りの乗り継ぎ地・ロサンゼルス空港に到着しました。この時はトランプ大統領が「カナダを51番目の州に!」と言い出した頃だったので、入国審査へと向かうところで見えてきたアメリカ合衆国旗を見て「しれっと星が51個になってはいないだろうな…」というようなことを思ってしまったりしたのでした。

乗り継ぎ時間は市街地に行くほどは長くなく、かといってすぐチェックインして出国してしまうと暇すぎるという感じでした。Googleマップを見てみると空港内にテーマビルという建物があり、一応多少見物できるようだったので向かってみたのですが、あいにく閉館日でした。上の写真の通りなかなか外観も面白い見た目だったのですが、11時間飛行機に乗った後にバックパックを背負って広い空港内をただうろうろ歩く羽目になったのはちょっと悲しいところです。ターミナルへと戻った後はそそくさと保安検査に並び、出発エリアで時間をつぶしてからカナダはバンクーバーへと戻っていったのでした。

以上、2025年4月のメキシコ・チリ旅行記、サンティアゴ編でした。あちこち歩き回ったこともあり長めの記事になってしまいました。次回は2025年5月の中央ヨーロッパ旅行記の予定です。お楽しみに!

  1. GENERATIONS、ですね
  2. とはいえ、当時すでに台北101(2004年竣工:509.2m)はもうあったんですけどね!
公開日:2025/11/16