2024年1月の東南アジア旅行記Part4、今回はシェムリアップ滞在2日目について書いていきたいと思います。この日は一日中遺跡観光をしていました。

朝から大ピンチ

Part3にも書いた通り、この日の午前中は前日にチャーターしたトゥクトゥクのお兄さんに前日に回ったアンコールワットとバイヨン寺院以外の遺跡を案内してもらう予定でした。8時に迎えに来ると言われていたので7時くらいには起きて準備しておこうと思っていたのですが、朝6時前にどうもお腹の調子がおかしくて目が覚めてしまいました。

慣れた(?)もの1で、この違和感は食あたりだなと判断しました。遺跡観光が控えているので、ゆっくり寝て治すわけにもいきません。そんなわけで、よく聞くものの試したことのなかった「旅行先での病気には現地の薬が効く」という噂を検証してみようと思い立ちました。幸い、ホテルと前日行ったパブストリートの間には大きな病院があり、Googleマップで調べてみると周囲に朝6時台からやっている薬局が何軒かありました。歩き回れるくらいの体調ではあったので、道中の写真を撮りつつ薬局へ向かいました。こういう屋台も気になるのですが、状況が状況なので見るだけにしておきました。

病院の前には朝からたくさんのトゥクトゥクが並んでいました。病院の前にタクシーが停まっているのは日本でもあるあるの光景ですよね。

病院の前にはバインミー風のサンドイッチを売る屋台もありましたが、当然ながらスルーです。

そして薬局で症状を伝えるとこの薬が出てきました。朝も早くから開いている上、英語で応対もしてもらえて大変助かりました。調べてみるとこのDIARYLという薬は大腸炎向けの抗菌薬のようでした。薬剤師さんに聞いた指示を守って薬を飲み、出発前に少し寝ると、気持ちの問題もあるのでしょうがかなり体調が戻った感じがしました。結局10時くらいまではちょっと胃腸がおかしい感じでしたが、昼前にはばっちり復活できたのでした。やっぱり現地の食あたりには現地の薬ですね。

しかし、振り返ってみるとこの食あたりの原因はプノンペンで食べたロックラックについていたちょっと不思議な味付け(味付けだったのかはもはや不明ですが)の目玉焼きでしょうね。体調がおかしくなるまで1日くらいかかったあたりからしても、あれだろうなあという気がします。トホホ…

アンコール遺跡観光

なんとか体調が持ち直したので前日に引き続きトゥクトゥクに乗ってアンコール遺跡観光に出発しました。朝のシェムリアップ市内は結構交通量が多く賑やかでした。

スラ・スラン

最初に訪れたのはこちらのスラ・スランです。バイヨン寺院の東側にある大きな人工の池です。池のほとりに、このようなテラスがちょっとだけ設置されています。池自体がかなり大きいこと、そして周囲に当然ながら高い建物がないこともあって空が開けていてなかなかの光景です。

そしてここにもおなじみのシンハ像が鎮座していました。昔の人はこの像の間に立って何かしらの儀式をしたりしていたのでしょうか…?

バンテアイ・クデイ

次に訪問したのはスラ・スランから道を挟んで反対側にあるバンテアイ・クデイです。スラ・スラン側からはこの門を通って中心部へと向かっていきます(この写真は通り抜けた側から撮りました)。こちらの門も上部に顔面が彫られていますね。

門を通ると、まっすぐ通路が伸びていました。かなりでこぼこしていますが、石畳のエリアもありました。ここもまた、森の中の寺院という雰囲気があり、中央部まで歩いて行くのもなかなか味があったのでした。

数分歩くと中心部に到着です。といっても、ここはまだまだ本堂ではなく、東楼門だったりします。

東楼門の中には仏像がお供え物とともに安置されていますが、この仏像は後代になってのものだそうです。

中央祠堂の周辺はかなり入り組んだ構造になっていて、壁面には様々な彫刻が施されていました。通路へつながる門の周囲にはデヴァターと呼ばれる女神の彫刻がいくつも施されています。

バンテアイ・クデイに限りませんが、放置されていた年数が長いこともありかなり崩壊が進んでいる部分も多いようでした。写真のように、木材で補強されていたり、立ち入り禁止になっているところが結構ありました。

タ・プローム

バンテアイ・クデイを見学した後は再びトゥクトゥクに乗り、タ・プロームへとやってきました。スラ・スランに始まり、今回の一連のルートはアンコール遺跡観光の定番ルートの一つ、「小回りルート」に沿っています。さらに時間のかかる「大回りルート」もあるそうで、規模の大きさを感じます。トゥクトゥクを降りて歩いて行くと、補修中のエリアに日本の会社名の書かれたクレーン車が停まっていました。例によって中古で流れてきた車両なのだとは思いますが、ちょっと面白いですね。

このような、長い年月を経てガジュマルが寺院を包み込んでいっている様子はタ・プロームの見どころの一つと言われています。この部分だけでなく、いくつかの個所でこのようにガジュマルが寺院を包み込んでいる様子を見ることができます。

ちなみにこのタ・プロームはアンジェリーナ・ジョリー主演の映画「トゥームレイダー」のロケ地にもなっています。映画のロケ地になるのも納得の雰囲気がありました。

この寺院も他の寺院と同じく回廊があり、その中には首のない仏像がありました。タ・プロームを含め、この周囲の多くの寺院は12世紀から13世紀前半にかけてのクメール王朝の王であったジャヤーヴァルマン7世により建設または改築されています。彼は仏教徒だったようですが、2代後の王であるジャヤーヴァルマン8世はヒンドゥー教徒だったこともあり、この周辺の仏像を破壊・埋設するよう指示したといわれています。その他にも内戦や盗掘などの影響で、アンコール遺跡にはこのような首のない仏像が多いようです。

ガジュマルが巻き付いているくらいなので、境内にはまだまだ崩落したままで未整備のエリアも多数ありました。

そしてこちらにも四面像がありました。他の国の遺跡では見た記憶がなく、アンコール遺跡の独特の雰囲気の構成要素の一つといえそうです。

タ・ケウ

タ・プロームからさらにトゥクトゥクに乗ってやってきたのこちらのタ・ケウです。こちらはこれまで見てきた寺院とは異なり、仏教寺院ではなくヒンドゥー教寺院として計画された建物です。10世紀後半に建設が始まったものの、建設途中で放棄されてしまったため、タ・ケウには彫刻が施されておらず、切り出された岩がカクカクとしたまま残されているのが特徴です。

タ・ケウはピラミッド状になっていて、階段で上部まで上がれるようになっています。1月とはいえ東南アジアの日中、暑い中この階段を上っていくのはなかなか疲れました…

頂上部には下からも見えた祠が何個か建っています。先ほども書いたように、タ・ケウは建設途中に放棄されてしまったため、彫刻が施されておらず切り出された石の角がそのまま残っています。これはこれでなんというか、ちょっとボクセルチックでサイバーな雰囲気も感じます。

ちなみに頂上まで行くとそれなりの高さがあります。1000年近く前にこれだけの高さの建築物を作るのにかかった労力がどれほどのものなのかと考えると、国王の権力や信仰心のすごさに感心してしまいます。

トマノン

タ・ケウの次に訪れたのはこちらのトマノンです。こちらはタ・ケウと同じくヒンドゥー教寺院ですが、12世紀ごろに建てられたものです。

これまで見てきた寺院群でもよく見かけたように、こちらの寺院も本来は外周を壁で囲っていたようですが、門の部分を除いて壁がなくなってしまっていました。

タ・ケウと異なり、こちらは完成した寺院であったことから、門や中央の祠には彫刻が施されています。柱の部分にはバンデアイ・クデイと同じように、デヴァターの彫刻が見えます。

トマノンに限りませんが、いくつかの寺院の出口付近では地元のおばちゃんたちが飲み物を売っていました。タ・ケウの階段を上り下りしたり暑さでちょっと体力を消耗していたので、飲み物を買おうとクーラーボックスの中を覗いてみるとなんとポカリスエットがあったのでした。ポカリスエット、結構東南アジアなどでは見かけるんですよね。

チャウ・サイ・テヴォーダ

トマノンを出た後は、向かい側にあるチャウ・サイ・テヴォーダにも行きました。こちらもトマノンと同じく、12世紀ごろに建てられたヒンドゥー教寺院です。

この寺院は地上から一段盛り上げられたところに参道が作られているのが特徴になっています。何層もの回廊に囲まれた祠というのも雰囲気がありますが、この空中参道もなかなかの迫力です。

ちなみにアンコール遺跡群の修復は各国の支援により行われていて、他の寺院にはインドや日本などの支援によって修復された旨の表示があったりしました。こちらのチャウ・サイ・テヴォーダは中国政府の支援により修復が行われています。中国政府による支援を紹介するコーナーには中国の江沢民、胡錦涛、習近平2と歴代の国家主席が訪問されている旨の看板も立てられていました。政府要人なのでしょうがないのだとは思うのですが、ここにスラックスにワイシャツで来るのは結構暑くてツラいんじゃないかと思ってしまいます。

昼のパブストリートで一息

チャウ・サイ・テヴォーダの見学を終えるとそろそろお昼ということで、午前中のツアーを終えてホテルへと戻ってきました。午後のツアーは2時ごろのピックアップということで、その前にお昼を食べることにしました。というわけで、前日に引き続きパブストリートへと向かい、アメリカンなハンバーガーを食べました。この頃にはもう朝方の食あたりからはすっかり回復していて、ハンバーガーを堪能することができたのでした。しかしカンボジアはロックラック3といい、ハンバーガーといい、牛肉がおいしいのも特徴の一つのような気がします。

ちなみにパブストリートに向かう道中にこちらのネコちゃんに遭遇しました。見事なエビフライスタイルからの大あくびです。カメラを向けたとたんにこの大あくび、なかなか大物の風格があります。

ホテルに戻る道中、病院のそばにいたトゥクトゥクの後ろにTECNOのスマートフォンの広告が出ているのを発見しました。TECNOのスマートフォンは2023年のGWのラオス訪問の際に購入していたりします。

飲み物を買っておこうとセブンイレブンに立ち寄ったのですが、入り口にシンハ像が置いてありました。タイはセブン犬4、カンボジアはシンハ像、といったところでしょうか。

セブンイレブンでは普通の水も買ったのですが、あまり他の国では見ないBOOSTRONGというエナジードリンクを見かけたので買ってみました。味は東南アジアにありがちな甘ったるいというレベルに甘いエナジードリンクなのですが、パッケージによるとカンボジア国産のエナジードリンクのようでした。

ベンメリアへ行く

ホテルに戻ってしばらく休憩した後、ツアーガイドさんに迎えに来ていただきベンメリアへと向かいました。ベンメリアはシェムリアップ市街からは少し離れたところにあるのですが、以前会社の先輩からおすすめの観光地として教えてもらっていたこともあり、オプショナルツアーに申し込んで行くことにしていたのでした。

ベンメリアはアンコール遺跡群の入場チケットで入ることができます。Part3でも書いたように、入口の前にはこのような検札所があり、ここでチェックを受けて中に入ります。

アンコールワットと同じく、ベンメリアでも蛇神ナーガが入口でお出迎えです。背面の彫刻が実に細かいです。

ベンメリアは11世紀末から12世紀末、アンコールワットの建設の少し前に建てられたといわれています。アンコールワット建造に先立ち検証目的で建てられた寺院であるという説もあるそうですが、ご覧の通り損壊が激しく、まだまだ修復の途上ということもあり詳しいことは分かっていないようです。

私が訪れた1月はカンボジアでは乾季にあたりますが、ここは雨期になると崩壊した石材や壁などが苔などに覆われて、まるで映画「天空の城ラピュタ」のようになるということで日本人から人気の観光地になっているそうです。実際、アンコールワットなどでは全然日本人を見かけなかったのですが、ここにいたのか!とびっくりするくらいベンメリアでは日本人とすれ違いました。ちなみに私はラピュタをきちんと見たことがないので、ラピュタっぽい、と言われてもよく分からないのでした…ラピュタが分からなくとも、長らく森の中に放置された太古の昔の寺院の迫力を体感しに行くだけの価値があると思います。

タ・プロームと同様、こちらも長らく森の中に放置されていたために、建物をガジュマルなどが包み込んでいる様子も見られます。このような状態になるには寺院を建てられるだけの文明がかつてあり、かつ植物が生育するだけの環境もある土地が遷都などの事情で長らく放棄され、ついには人間から忘れ去られるという条件が揃わないといけないわけで、これらの条件が揃うところなんてアンコール遺跡周辺以外にどれだけあるのだろうか…と考えてしまいました。

ちなみにベンメリアはいまだに損傷が激しいこと、またクメール・ルージュ時代に設置された地雷が周囲に残っているために、安全に通ることのできる場所に木製の通路が通されていて、その通路に沿って見学するようになっています。今も修復が進み、新たな通路ができたり、逆に新たに自然災害の影響などで崩壊してしまったりしているようです。

ベンメリア見学の後は、夕日がよく見えるというエリアに案内していただきました。本当に何もないだだっ広い場所で、住宅を建てていく予定のエリアとのことでした。カンボジアはまだまだこれから発展していくところなんだなあと思いながら夕日を眺めた後、ツアーの車に乗ってホテルへと戻っていったのでした。

パブストリートふたたび

先ほども書いたように、ベンメリアはシェムリアップ市街からは少し離れています。夕日を見た後、車で1時間ほどかけてシェムリアップ市街へと戻ってくると、もう晩ごはんの時間になっていました。というわけでお昼に引き続きパブストリートへやってきました。今回入った”The Red Piano”はトゥームレイダーのロケ中にアンジェリーナジョリーも通ったレストランということで、アンジェリーナジョリーお気に入りのカクテル、なんていうのもメニューにありました。

前日は名物盛り合わせにピザで苦しくなってしまった反省を生かして(?)、今回はピザとビールのみにしました。とはいえ、これでも十分多いという話もありますが…

晩ごはんを食べた後はお土産を探すべくナイトマーケットの土産物店エリアをぶらぶら歩きました。しかしまあなんというか、いかにも欧米の人にウケそうな感じのお土産しかなかったので、結局何も買わなかったのでした。そしてさらに歩いているとワニの剥製にも遭遇しました。何の脈略もなく唐突に置いてあった記憶があるのですが、いったい何だったのでしょう…

慌ててバスへ

ナイトマーケットを散策した後はホテルに戻って一休みすることにしました。実はこの日は日付が変わって午前0時45分に出発するバスでバンコクに向かう予定だったのですが、出発が夜遅いこともあるのでホテルは2泊分確保しておき、深夜にチェックアウトさせてもらうことにしておいたのでした。一日中遺跡を観光してちょっと疲れていたところに、ピザでお腹いっぱいになったし、ビールも飲んだしで眠くなっていた私は、バスに乗る前に少し仮眠しておこうと、目覚まし時計も設定して仮眠していました。

が!しかし、目が覚めたのは設定時刻を大幅に過ぎた0時21分でした。旅行先でうわ!と叫んでしまったのはこの時ぐらいだと思います。バスの予約をする際にこの時間帯以外のダイヤもある程度調べていて、このバスを逃すと朝に出発する乗り合いバンに詰め詰めで乗ることになってしまうし、そもそもバンコクからホーチミンシティへ戻るフライトまでの時間がぎりぎりになってしまうことが分かっていました。そんなわけで大慌てで荷物をまとめ、フロントのお兄さんにチェックアウトをお願いしたのでした。チェックインの時のフロントのお姉さんには夜中にチェックアウトすると事情を伝えていたのですが、夜番のお兄さんには事情が伝わっていなかったようで、お兄さんは眠そうにしながら「なんでこんな夜中にチェックアウトするの?」と聞いてきたので、事情を話しました。すると「バスに間に合わなかったら戻っておいでね~」と言いながら送り出してくれました。

お兄さんに感謝しつつホテルの前に止まっていたトゥクトゥクに飛び乗り、とにかく急ぎでバス会社のオフィスに向かってくれ!とお願いしました。幸いバス会社のオフィスは比較的近かったこともあり、出発5分前には手続きを済ませてバスに乗ることができました。

この時のバスもホーチミンシティ~プノンペン、プノンペン~シェムリアップと同様、2列-1列の3列構成のバスで、乗ってしまえば比較的ゆったりできるバスなのでした。一通り乗客が乗りこみ、定刻を1分過ぎたところでバスはタイ・バンコクに向けて出発していきました。

以上、2024年1月の東南アジア旅行記、Part4でした。この日は朝の食あたりに夜の寝過ごしと、ピンチに始まりピンチに終わるというような一日でした。次回・Part5はバンコクとホーチミンシティ滞在について書く予定です。お楽しみに!

  1. 慣れたくはないのですが
  2. 副主席時代の訪問のようです
  3. 目玉焼きに当たったけど…
  4. 冷房目当てでセブンイレブンなどのコンビニの前にたむろするワンちゃんの通称
公開日:2025/01/13