2018年秋のシベリア鉄道の旅、ついに題名通りにシベリア鉄道に乗車し、モスクワへと出発します。

はじめに

さて、ついにシベリア鉄道の1番列車「ロシア号」に乗り、極東・ウラジオストクから首都・モスクワを目指して移動するわけですが、車内でのできごとを書いていく前にまずは全体像を説明したいと思います。(2020/8/2にDay0編にも主要停車駅一覧を追加しました。)

上の図は私が乗車した際のロシア号の主要な(15分以上停車する)駅をプロットした地図になります。2020年7月1日からロシア号は停車駅が60駅から140駅に大幅に増加したため、おそらく現状の基準で主要な駅を抜き出すといくつか変更点があると思われますが、ルートの概形は変わっていないはずです。基本的にはアジアを走る区間ではロシアの南側を走り、アジアとヨーロッパの境界付近のエカテリンブルグ駅の手前、チュメニあたりからぐっと北上しモスクワを目指すルートです。言うまでもなく所要時間6日超えの大変長い鉄道旅行なので、今回はPart1として上の地図で囲っているウラジオストク駅での出発からチタ-II駅までを主に扱いたいと思います。

ウラジオストク駅から出発

ウラジオストク編の最後に書いたとおり、最初はプラットホームに降りる前の2階の短距離列車用の窓口に引き換えいって軽くあしらわれたりもしました。バウチャーを持って行ったら一言も話さず、「長距離列車はここではなく1階の別の窓口です」というようなことが英語で書かれた札を出され、追い返されたのでした。うんざりしてるのか単に効率を求めているだけなのかは定かではありませんが、ちょっとびっくりしてしまいました。その後、間違えてすみませんでしたという気持ちになりつつ、1階の長距離列車用窓口へ行き無事乗車券をゲットすることができたのでした。

さて、出発の1時間前になると駅構内の出発案内にも”001 ФР Москва(モスクワ)”の文字が出てきました。”ФР”は多分”Фирменный(優等列車)”の略、他の列車番号の横に書いてある”Эл”、”СК”はそれぞれ”Электричка(近郊電車)”、”Скорый(急行列車)”の略でしょうね。21時ちょうどのところにはハバロフスク行き寝台列車である005番列車”オケアン(Океан)”号の表示もありますね。こちらの列車は1泊の運行で寝台車気分を味わえるということもあり、ロシア号と並んで旅行客に人気の列車であります。

乗車が始まるまでの間は記念撮影タイムです。みなさん長旅の始まりですからね。9288キロポストと列車をセットで撮ってみました。

そしていよいよ乗車です。各車両、女性と男性の車掌さんがペアでウラジオストクからモスクワまで通しで乗務しています。車掌さんは各駅での検札、車内食、リネン類の配布・回収、車内清掃から各車両でのお土産・食料販売まで何でもこなします。このときは写真手前側の2人の車掌さんにお世話になりました。ちなみに乗車時の検札の際にはおじさんの車掌さんの方に「スズキィ…スズキサーン!トヨタサーン!」というびっくりするぐらい定番のいじられ方をして笑ってしまいました。確かにトヨタ車は多いですし、スズキ車も見かけたので納得ではあるのですが…

車両にはこのように区間および列車番号、何両目かを示すプレートが貼り付けられています。同じ見た目の客車が延々連なっているため、これをヒントにしないと戻れなくなるということに後ほど気が付かされました。

二等車の車内

さて、乗車したらばまずは荷物の収納と1週間弱を過ごすことになる部屋のチェックであります。今回乗車したのは2等車の4人部屋です。

写真の通り、通路が端にあり、進行方向と直交する向きに座席兼ベッドが並んでいます。鍵のかかる引き戸の扉の上には液晶テレビが付いており、現地の方は時折見て楽しんでいました。1枚目の写真、出入り口の両脇に写っている取っ手状のものを引っ張ると、上段ベッドへのはしごが展開されるようになっています。またテレビの裏側の部分は上段の方のための荷物置き場になっています。

上段のベッドを折りたたむとこんな感じです。また、写真左側に見切れているように客室窓側にはテーブルが取り付けられており、ご飯を食べる時などには交代で使っていました。テーブルの下にはコンセントがあり、分岐タップをつけたりしながら4人で活用していました。日中は上段ベッドの方とこの座面を共有して2人掛けすることになります。人が一人寝る幅の座席を2人掛けで使うことになるので、全く窮屈さは感じません。座面の下は空いていて、そこに荷物を詰め込むことになります。荷物を詰める際はこの座面を跳ね上げることもできます。

また、下段のベッドは座面の部分ではなく、青緑色の上下に二分割されている背もたれの下側をバタンと倒して出てくる面がベッドになります。連泊する場合、リネン類はそのままなので、挟み込まれないようにうまくベッドの上に載せ、そのままベッドを跳ね上げて過ごしていました。背もたれが格納されている分の幅もベッドになるので、就寝時はこの見た目より広く快適です。

寝っ転がるとこんな感じで読書灯が頭上に来ます。消灯後も自分だけ明かりをつけて読書をすることも可能です。

また、下段は背もたれのうちベッドにならない方(上下に二分割されているうちの上半分)が収納スペースとなっています。私はここに歯磨きセットと食料品を入れていました。座ったまま後ろを向けば取り出せるので意外と便利です。

列車の旅スタート

さて、ウラジオストク時間19時10分、定刻通りロシア号はウラジオストク駅を出発しました。列車が動き出してしばらくすると、車掌さんが再度各部屋に乗車券の回収と車内食の配給で回ってきました。

写真の通り、飛行機の機内食に比べるとお弁当感がありシンプルではありますが、美味しい車内食でした。乗車して最初の食事だけは乗車券の料金に入っているようです。

また、このような簡易スリッパも配られました。車外に出ないときはこれを履いていました。

上の写真のものを配給するのとほぼ同時に乗車券の回収もされたのですが、その際に車掌さんに「おーぅもすこー!」とモスクワまで通しで乗るとは物好きだなぁ…というようなリアクションをされたのでした。その後客室で居合わせた方にもずっと驚かれ続け、通し乗車はなかなかの好きものだということをじわじわと思い知らされるのでした。

そして、同じ部屋の向かいの上段ベッドの方がなんと日本人だと判明。話してみると海外の鉄道に乗るのが趣味の方で、ハバロフスクまで1泊されるとのことでした。なかなかおもしろい方で、インドの長距離列車の一等客室に乗った時のお話や、当時就航していた数少ないキャリアであるオーロラ航空のウラジオストク-成田線でウラジオストクへ来たこと、その飛行機がプロペラ機だったことや、ナホトカ経由の欧亜連絡国際路線の話など、興味深い話を聞かせていただきました。

ウスリースク流血事件

列車はしばらくは海沿いを走り、40分程度走ったところでウゴリナヤに短時間停車し、その後21時過ぎに最初の長時間停車駅であるウスリースクに到着しました。そこで事件は起きました。

15分の停車という情報はあらかじめ調べていて把握していたものの、この時点では本当に15分停車して、外に出てなにか行動できる時間があるのか分からずビビっていたこともあり、私は車窓から外を眺めるだけにとどめていました。しかし向かいの上段の方は翌朝着のハバロフスクまでの旅ということもあり、せっかくだから外に出てみます!と言って外に出ていきました。ここを逃すともう深夜の停車駅しかないしなあ…と思っていたのですが、なんと戻ってきたその方は思いっきり膝を擦りむいて血がダラダラ!急いで戻ってくる際に転んだそうでした。通し乗車ということで、アルコール除菌タイプのウエットティッシュを何個もストックしていたので、慌てて気にせずどんどん消毒に使ってください!とお渡して使ってもらいました。その方が持っていたタオルを巻いて無事止血できたので良かったですが、なんともびっくりした出来事でした。一騒動終えたところで向かいの下段の人が準備する手順を見ながらベッドを整え、部屋は消灯、就寝したのでした。

ちなみにウエットティッシュは詰替え用のものを日本から持っていっていました。一度開けると乾燥してしまうという問題はありますが、ボトルよりかさばらず、パウチからそのまま使う前提になっているウエットティッシュに比べてたくさん入っているので非常に便利でした。

ハバロフスク到着

ここまでの疲れと思いの外快適なベッドのおかげでぐっすりと寝て起きると、ハバロフスクが目前に迫っていました。ハバロフスクの前の停車駅であるヴャゼムスカヤ駅は5時台の到着なので、寝て起きて最初の駅がハバロフスクというわけです。ウスリースクで転んでしまった方はここまでの乗車ということで下車の支度をされていました。ハバロフスクは30分の停車時間であり、ウスリースクでもきちんと停まっていたから大丈夫だろうと思い、私も降りてみることにしました。

この通り、広々とした駅で、ずらーっと連なったタンク車も停まっている駅でした。駅名を読んでいくうちに、なんとなくキリル文字が読めるようになるのではないか…?と勘付いたのはこのあたりだった気がします。そのまま同じ客室だった方と一緒に駅の外へ出る通路へと行き、最後のあいさつをしました。1泊だけでしたが、またここからそれぞれの旅が始まるのだなあと思うと感慨深かったのをよく覚えています。

写真はハバロフスク駅の駅舎です。ウラジオストク駅に比べてかなり大きい駅舎でした。例によって基本的に駅には改札がなく、駅を出て再度入る際の荷物検査の時間さえ考慮しておけば、停車時間の間に駅の外に出ることは十分可能です。このときはまだウラジオストクで買った黒パンや塊のチーズを持っていたのでそこまで必死ではありませんでしたが、追加で何か食べ物を買えないかと探りながら歩いていました。残念ながら結局食べ物は買えず(ちょっと遠くまで行けばあるのかもしれないですが時間との戦いも怖いし…)、駅前散策をして終わりました。

こちらは駅前のエロフェイ・パヴロヴィッチ・ハバロフの像です。エロフェイ・パブロヴィッチ・ハバロフは17世紀に極東、アムール川流域を探検し、ロシア帝国の植民地としての開拓を進めた探検家だそうです。「ハバロフスク」の名や、この後通ることになる駅があるエロフェイ・パブロヴィッチという地名はこの方に由来するそうです。

カップヌードルを食べる

さて、残念ながらハバロフスクではご飯を調達できなかったため、ウラジオストクで買った黒パンとチーズはまだあったものの、Day0編で書いたとおり日本から持ってきたカップヌードルを食べることにしました。

これが日本から持ってきたカップヌードル専用カップです。この後、お茶や味噌汁を飲むのにも大活躍でした。このカップにカップヌードル・リフィルを入れてあとは普通のカップヌードル同様、3分待てばOKです。

そしてカップヌードルを作る上で必要不可欠なお湯ですが、各車両の端にこのような湯沸かし器”Самовар(サモワール)”が取り付けられていて、調理用のお湯は自由に使えるようになっています。お湯はあっつあつのお湯なので、インスタントラーメンにはもってこいですが、お茶を入れるときは冷ますのに少し時間がいります。

カップヌードルをすすり、ハバロフスクを出てから途切れがちの通信回線でTwitterをしながら車窓を眺めていました。駅と駅の間はだいたいこんな感じの絵に描いたような自然がずーっと続いています。特にシベリア鉄道前半は白樺の木々が延々と続く風景が多かったです。

オブルチエでピロシキを買う

現地時間(ウラジオストク時間:UTC+10)の13時54分、列車は定刻通りユダヤ自治州の西端、オブルチエ駅でおよそ6時間ぶりの長めの停車となりました。ハバロフスク駅とオブルチエ駅の間の停車駅は停車時間7分のビロビジャン駅しかないので、単に停車だけでも3時間ぶりです。ホームに降りると写真真ん中に写っているように帽子をかぶった駅弁売りならぬピロシキ売りが歩き回っていました。

というわけで、オブルチエに到着する前にお昼はストックしていた黒パンとチーズで済ませていましたが、せっかくだからと身振り手振りで購入してみました。お値段は50ルーブル、当時のレートでおよそ85円でした。安い!

ちなみに中身はクタクタに煮たキャベツでした。ロシアに来て初めてのピロシキでしたが、素朴な味ながら想像以上に美味しく、この後もできるだけピロシキを見つけたら買うようにしようと思ったのでした。

再び列車は出発し、アムール州へと入っていきました。オブルチエをすぎるとタイムゾーンは日本と同じUTC+9になりました。室内のTVで流れている番組はさっぱり内容がわかりませんでした。

さっきも書きましたが駅と駅の間の風景はひたすらの大自然です。外を眺めては持ってきた本を読み、また外を眺めては本を読み、たまにどこから来てどこに行くのか聞かれて日本人でモスクワまで行くと説明して呆れられ…というのを繰り返しながらベロゴルスクへと向かいました。車窓を眺めていると、時折「????km駅」という、明らかにモスクワからの距離をそのまま駅名にしたと思われる駅があったり、戦車が貨物列車に積んであったりという発見もたまにあったりするので意外と退屈しません。とはいえ読書もガッツリ没頭できます。通勤電車の座席だとやたらと本を読むのが速くなるタイプの方にはうってつけだと思います。(私がまさにそういうタイプなのです。)

ベロゴルスク駅に着く

さて、オブルチエから5時間かけてアムール州・ベロゴルスク駅に到着しました。時刻は現地時間18時過ぎとなっていました。

ハバロフスク駅に比べるとこぢんまりとした駅で、駅舎を抜けるとすぐに外に出ることができました。レーニン像がウラジオストク駅前のものに比べるとシュッと(?)していました。

ベロゴルスクの駅を出たところには屋台が出ていました。魚、野菜など様々な物が売っていましたが、ここでは特に何も買わずでした。この方々はロシア号とかのダイヤに合わせて出店しているんでしょうか…?駅前市場という意味だとここが一番活気にあふれていて印象的でした。そしてここで気がついたのですが、どうも同じ列車に日本からのテレビクルーの方が乗り合わせていたようです。ヨーロッパに入ってからの駅で少し話したのですが、いつどこで放送するのかまで聞いておけばよかったと心底後悔しています…

また、ベロゴルスクでは機関車の入れ替えが行われていました。停車時間が30分あったのはそういう理由もあったのだと思います。しかし機関車の入れ替えは列車の先頭で行われているわけで、5号車からえっちらおっちら歩いていくと結構時間がかかるのでした。

食堂車へ行く

さて、ベロゴルスクを出るともう現地時間18時41分、晩ごはん時です。そんなわけでそろそろ一度くらい行ってみるかと食堂車まで行ってみることにしました。車内をひたすら歩き、コンパートメントの二等車だけでなく開放式寝台の三等車の通路も揺れる中フラフラと通り、都合5台の車両を経由して食堂車にたどり着きました。写真は二等車の廊下です。二等車の通路は扉と窓の間にあり、幅も比較的あるので歩きやすいのですが、三等車の開放式寝台だとベッドとベッドの間を縫って歩くことになるので揺れていたりすれ違う際にちょっと苦労しました。

食堂車にたどり着くまでの三等車の様子を見ていて気が付きましたが、三等車は若い軍人さんらしき人だったりが多く、全体的に二等車よりも客層が若い印象でした。日本で大学生が新幹線の代わりに深夜高速バスで移動したりするようなものなのではないかと感じました。

食堂車はまた独特のカラーリング・デザインの座席が並んでいました。決して新しくはなく豪華でもないのですが、品良くまとまっているという印象を受けました。

そしてまずはビールです。シベリア鉄道の車内は禁酒ですが、食堂車は唯一の例外です。

そしてド定番・ボルシチとカツレツをオーダーしました。ビートの独特の赤色が目に飛び込んでくる本場の4ボルシチですが、なかなか美味しかったです。ビートは大して味があるわけではないのですが、なぜかビートだと分かる味なんですよね。不思議です。カツレツは…まあこんなもんか、という可もなく不可もなく、という感じでした。しかし食堂車は1個50ルーブルのピロシキで満足してしまう身にとっては実に高かったです…ボルシチだけで10個以上ピロシキが買えますからね!

朝のエロフェイ・パブロヴィッチ駅

食堂車から戻り、真夜中の到着のマグダガチまで起きているべきかどうか悩んでいたのですが、周りも早々に寝てしまうこともあり私も寝てしまいました。そして朝はやく起きるとまもなくエロフェイ・パブロヴィッチ駅というところまで来ていました。

数分遅れの到着でしたが、まだ現地時間6時半過ぎということで空が明るくなり始めたところでした。

エロフェイ・パブロヴィッチ駅の駅舎です。独特なフォルムをしています。ハバロフスクのところで書きましたが、この地名は17世紀の探検家に由来しています。

そうこうしているうちにどんどん空が明るくなってきました。

そしてこの駅から乗ってきた現地人のおじさんが朝ごはんに際してお前も食え!と七面鳥らしき鳥の包み焼きをシェアしてくれました。繁華街のバーなど、場所によっては旅先で食べ物を見ず知らずの人からもらって食べるのは昏睡強盗などのリスクもありますが、シベリア鉄道はそんなことをしたところで逃げ場もないですし、そもそも同じ塊からおじさんも食べているし…ということでありがたく頂きました。これを皮切りにモスクワに着くまでに入れ代わり立ち代わり、同室の方にごちそうになってしまいました。カップヌードルと日本茶ティーバッグくらいしかお返しできず本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。しかし、このおじさん、朝からガッツリ食べるなあ…と思ったのをよく覚えています。

ザ・田舎駅!アマザル

エロフェイ・パブロヴィッチから約2時間でザバイカリエ地方・アマザル駅に到着です。

エロフェイ・パブロヴィッチから2時間ではありますが、先程はまだ朝早かったこともあってか、アマザル駅で外に出ている人のほうが多いように感じました。おじさんたちは貴重なモクモクタイムも兼ねてるんですね。しかしこのアマザル駅、びっくりするほど田舎な駅です。なんとホームが短く、全両分ないのです。当時思わずTwitterに「ここは梅屋敷5か?」と書いていました。長時間停車する駅の中では全旅程の中で一番田舎な駅だったのではないかと思います。

駅のそばを走る車、そして風景がなんとも言えない味わいです。

駅のそばの風景も山!という感じです。別にどこに停車しようとロシア鉄道の自由ではあるのですが、どういう基準で停車駅がチョイスされているのかはちょっと気になってしまいました。水の入れ替えなどができる基地があるんでしょうか?

工事中の駅・モゴチャ

アマザルから1時間半ちょっと白樺の林をひた走り、列車はモゴチャ駅に到着しました。

モゴチャ駅は見た目は立派な雰囲気でしたが、どうやらまだ完成していないようでした。それとも改装中だったのでしょうか…?

今ひとつ大都市感はない駅ですが、それでもスーツケースを抱えて乗り降りする人は比較的多かったです。モゴチャ駅から次のチェルヌイシェフスク・ザバイカリスキー駅まではなんと6時間停車なしとなるため、お昼ごはんを確保すべくピロシキ売りを探しましたが残念ながらピロシキ売りはおらず、この時点でお昼は持ってきたカップヌードルとなることが確定したのでした。

モゴチャを出たところで車掌さんがお土産品を売りに来ました。車内でお茶をオーダーすると持ってきてくれるティーカップ(結構おしゃれなんですよね)等々おすすめされたのですが、そもそもこの先も長いし…ということでかさばらないボールペンを買いました。同室の鳥肉の包み焼きをくれたおじさんも同じボールペンを買っていました。

チェルヌイシェフスク・ザバイカリスキー駅

さて、ひたすら6時間走ってチェルヌイシェフスク・ザバイカリスキー駅に到着です。駅舎がそこそこ立派にも関わらずプラットホーム間の移動用の踏切がびっくりするほどシンプルでした。

駅舎の前には銀色の像が鎮座していました。この像はニコライ・チェルヌイシェフスキーという哲学者・経済学者の像でした。チェルヌイシェフスクという地名もこの方に由来するようです。この後駅構内に入り、水と食料を調達しました。

さてこのチェルヌイシェフスク・ザバイカリスキー駅は一般の列車よりも貨物列車がずらっと並んでいたのが印象的でした。貨物列車はこの時に限らず、シベリア鉄道乗車中頻繁に遭遇しましたが、駅の規模に比べるとこの駅は貨物列車の集積度が高い印象を受けました。この地区にはモリブデン鉱床があるようなので、その影響でしょうか?

この駅には陸橋があり、ズラッと並ぶ貨物列車を眺めやすかったです。コンテナ車やタンク車でなく、いわゆる無蓋車が多かったのが印象的でした。

この駅のホームの端にはモスクワから6586kmの位置であることを示す標識が立っていました。スタートのウラジオストク駅がモスクワから9288km(現在のロシア号の運行距離は9259kmですが)だったことを考えると、およそ2700km移動したことになります。2016年の深圳~南寧~ハノイ(ベトナム)が総行程1000km程度だったので、それよりも遥かに長い距離を移動したことになります。

その後再び列車は出発して、またひたすら何もないところを走っていきました。秋だったので枯れ草で黄土色の風景が続いていました。

トラブル発生・臨時停車

さて、チェルヌイシェフスク・ザバイカリスキー駅を出てしばらくして、カリムスカヤ駅到着の前後から時折駅でないところで停車するようになってしまいました。上の写真は車窓から撮った写真です。ご覧の通り、崖の横であまり人は住んでいなさそうなエリアです。

しばらくは写真の崖を眺めていましたが、ちょっと変わった見た目の崖だからといってずっと眺めていては流石に飽きるので、晩ごはんにすることにしました。晩ごはんはチェルヌイシェフスク・ザバイカリスキー駅で買った揚げピロシキと餃子のおばけのような揚げパンです。餃子のおばけはチェブレキという名前で、クリミア・タタール人の民族料理だそうです。具は牛丼のような感じでした。揚げピロシキの方は具はじゃがいもでした。

その後、次の駅であるカリムスカヤ駅を過ぎた後も時折臨時停車していました。蛍光灯が点かなくなるといった電気系統のトラブルのような雰囲気もあり、いったいここで列車が立ち往生したらどうなるんだろう…と考えながら窓の外を見ていました。写真のように停まるのは辺り一面送電線しかないエリアだったりするので、停まってすぐは通路に出て眺めるものの、特に下車することもできないので飽きて部屋に戻る…というような行動を繰り返していました。本記事執筆時に調べたところ、各車両の電力は台車に取り付けられた発電機により供給されていたようなので停車時間が長いと供給が止まるということなんでしょうね。当時は知る由もなかったですが…

臨時停車中に撮った写真を眺めていて気がついたのですが、このあたりは碍子6がガラス製でした。日本だと磁器製の碍子がメジャーなのでつい珍しく撮影してしまいました。

少し進んでは停まり、少し進んでは停まりを繰り返し、これは一体何時間遅れになってしまうのか、2月のフランスでTGVの人身事故で大遅延に巻き込まれてスケジュールが大幅に狂ったことを思い出したり、モスクワ到着日の夜にボリショイ劇場でのバレエの観劇予定を入れていたこともあり、高いチケットを買ったのに間に合わなくなってしまうのではないか…と不安になったりしつつ、暗くなってきたこともあり就寝したのでした。その後、ガサゴソという物音とともに照明の光が僅かに入ってきていることに気が付き目を覚ますと列車は真夜中着予定のチタ-II駅に到着していました。時計を確認すると午前3時でした。実に3時間の大遅延です。チタ-II駅では午前3時というのに現地のお兄さんが2名乗ってきて客室は定員通りの4名体制になりました。チタ-II駅はザバイカリエ地方の首府でもあるため真夜中着ならば降りようかと思っていたのですが、眠いこともあり降りず、車窓から眺めるだけになってしまいました。この頃になると夜間に下車するとそこそこ寒いことに気がついていたので、待合室で寝ずに待って、列車が来たら寒い中ホームまで来たのか…と、乗車してきたお兄さん2名に同情してしまいました。チタ-II駅を出てからは臨時停車もせず、列車は次の停車駅であるヒロク駅を目指して走り始めたのでした。

以上、2018年秋のシベリア鉄道の旅・鉄道移動編Part1でした。次回も引き続き鉄道移動編になります。お楽しみに!

 

 

  1. 本当の本場はウクライナですが!
  2. 京浜急行本線の駅。6両編成の普通電車しか停まらない駅だが、4両分しかプラットホームがないため、6両のうち2両はドアが開かないという運用がされていた駅。2012年10月に駅の高架化が完了し6両すべてのドアが開くようになった。
  3. がいし。電線と支柱間の絶縁を確保するための器具。
  4. 本当の本場はウクライナですが!
  5. 京浜急行本線の駅。6両編成の普通電車しか停まらない駅だが、4両分しかプラットホームがないため、6両のうち2両はドアが開かないという運用がされていた駅。2012年10月に駅の高架化が完了し6両すべてのドアが開くようになった。
  6. がいし。電線と支柱間の絶縁を確保するための器具。
公開日:2020/08/09 最終更新日:2020/08/10