2019年9月のインド・マレーシアの旅、出発&デリー到着編の次はアグラ編です。アグラはかの有名なタージ・マハルがある都市で、インドへの到着翌日、日帰りで行きました。

Shatabdi Expressに乗る

この日は朝5時に起きて急いで身支度をして、5:30にニューデリー駅へと向かいました。今回アグラに行くために乗るShatabdi Expressは6時ちょうどの出発ということで、真っ暗なうちからホームには人が集まっていました。

インドの文字1で書かれた行き先表示はさっぱり分かりませんが、駅舎内の表示を信用して乗り込むことにしました。

今回は折角だからとShatabdi Expressのファーストクラス座席にしました。ファーストクラスといっても、運賃は1500円程度です。

列車が出発してすぐ、水のペットボトルが配られ、その次にアクエリアスが配られました。暑い国なので水分補給が重要視されてのことなのでしょうか…?

その後はティーカップが配られ、一緒に配られるティーバッグを入れて待っていると今度はお湯がサーブされました。ポーションミルクと砂糖を入れればチャイの完成です。車内サービスにチャイが入っているのはさすがインドという感じです。

しばらくすると朝食セットが出てきました。確かに朝6時発ということで朝ごはんをまだ食べていない人も多いんでしょうね。シリアルとバナナ、そして小さいパンのセットでした。

そしてバナナまで食べたところでオムレツが出てきました。ちなみにベジ(ベジタリアンミール)かノンベジか事前に聞かれました。ベジタリアンの多いインドならではの配慮です。

そしておよそ2時間列車に揺られるとこのアグラ・カント駅に到着です。駅の入口にタージ・マハルの絵が書いてあるのが分かるかと思います。

駅前はご覧の通り、牛と犬、オートリキシャが行き交う混沌とした空間になっていました。今回は特にオプショナルツアーを申し込んでいるわけではなく、アグラではUberも使えなかったので、オートリキシャの運転手さんと交渉してタージ・マハルまで連れて行ってもらいました。

タージ・マハルへ行く

タージ・マハルの入り口の目の前までは車が入れないため、オートリキシャの運転手さんにここをまっすぐ行くんだ!と言われたのに従ってまっすぐ歩いていきました。緑が多く、リスも見かける道のりでした。当然ながら犬もいます。インドの野良犬は妙に毛並みがいいです。

入場料を払ってしばらく歩くと、こちらの門が見えてきます。これだけでも十分立派ではありますが、この門を通ってさらに進んでいきます。

門の中に入ると、ご覧の通りいよいよ純白のタージ・マハルが見えてきます。ご覧の通り、ここの時点で写真を撮る観光客で賑わっています。

門を抜けるとこのとおり、タージ・マハルとご対面です。教科書で見たやつだ!というお約束の感想とともに、確かにこれは世界遺産として認定されるだけのことはあるなあ…と感心したのでした。ちなみに写真の通り、左奥の塔はこの時清掃作業中で周りに足場が組まれていました。白いので汚れが目立つということもあり、だいたいどれか1つの塔は清掃中になっているという話もあるようです。

世界史等々で習うのでご存じの方も多いと思いますが、このタージ・マハルは16世紀から19世紀半ばまでインドに存在したイスラム系の王朝であるムガル帝国の第5代皇帝であるシャー・ジャハーンの妃、ムムターズ・マハルの墓廟であります。立派なタマネギ型のドームやイーワーンと呼ばれる建物正面のアーチ状に開いた空間など、モスクなどでもよく見るイスラム建築の特徴があるのはイスラム系の王朝だったから、というわけです。

もちろんタージ・マハルの内部も見学しましたが、建物内部は撮影禁止だったので写真はなしです。外は9月のインドということで暑いのですが、中は少しひんやりとしていました。また、よく見るタージ・マハルの全景写真でも見える細かい模様ですが、塗装ではなく、違う色の石をはめ込んで模様を作る象嵌細工になっていました。また3枚目の写真の細かい彫刻も見事でした。

こちらはタージ・マハルの西側にあるモスクです。東側に同じデザインの集会場があります。白い中央の墓廟自体は知っていても、両脇にこういう施設があることは知らないという人も多いのではないでしょうか。

個人的にちょっとお気に入りなのがこちらの写真です。墓廟側から入り口の門の方へ向けて写真を撮りました。みなさんそれぞれ思い思いのポーズで記念写真を撮っています。

シャー・ジャハーン幽閉の地・アグラ城塞

タージ・マハルから再びオートリキシャに乗ってたどり着いたのはこちら、アグラ城塞です。アグラ城塞はムガル帝国第3代皇帝のアクバルが建設し、その後を継いだ第4代のジャハーンギール、第5代、タージ・マハルを建設したシャー・ジャハーンの時代まで使われていた城です。こちらも世界遺産に登録されています。

一番手前の門を入って進むとまた更に門があります。赤い砂岩で作られていますが、タージ・マハルにも似た雰囲気を感じます。2

門を抜けて敷地内に出るとこちらのジャハーンギール宮殿にたどり着きます。こちらの宮殿は第3代・アクバルの時代の建造だそうです。

宮殿の前にはジャハーンギールが使っていたというバスタブが展示されていました。バスタブにしては深すぎる気がしますが、意外と底が浅いのでしょうか?

そしてここにもリスがいました。アグラ城塞の中では何匹もリスを見かけました。リスって日本だとほとんど見たことがないのですが、旅行先だと結構見る気がします。国によっては結構馴染み深い動物なのでしょうか?

ジャハーンギール宮殿は2階建てで、中に入ることができます。2階にはこのような広いテラスがあります。

テラスからはタージ・マハルが見えます。シャー・ジャハーンは自分の城から見えるところにタージ・マハルを建設したわけですね。

そしてこちらの白い大理石で作られたエリアはムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)と呼ばれる塔で、妃ムムターズ・マハルを亡くした後、病に伏したシャー・ジャハーンが三男で第6代ムガル帝国皇帝となるアウラングゼーブによって幽閉されていた塔になります。ここからもタージ・マハルを眺めることができ、シャー・ジャハーンは幽閉された中でもタージ・マハルを眺めながら過ごしていたといわれています。

囚われの塔から戻って、宮殿の中庭を撮りました。芝生も見事ですが、回廊も立派なものです。1階と2階で色が違うのが特徴的でした。

そしてこちらは一般市民が皇帝に謁見する際に使われていたディワニ・アームという建物です。ここも白い大理石で作られていて、一般市民へのインパクトも抜群だったのだろうなあ…と思いました。

一通りアグラ城塞内部を観光した後、外に出る時にお猿さんを見かけました。なかなか器用に手すりに座っていました。

パラクパニールを食べる

さて、アグラ城を出た後はお昼ごはんを探して少し市街地をぶらぶらしました。が、今ひとつ決め手に欠けていて、しばらくぶらぶらと歩くだけ歩いてしまったのでした。

だんだん日も出てきて暑く、くたびれてきたのでオートリキシャの運転手さんに声をかけ、半日案内してもらうことにしました。都度都度その場所で交渉するのではなく、チャーターだとあの手この手で土産物店を連れ回されたりするんだろうなあ…と思いはしたものの、帰りの列車は18時前の出発と、かなり時間はあるし、まあいいかと、オートリキシャに乗ってまずは最初にレストランに連れて行ってもらったのでした。

そして着いたレストランはなかなか高そうなザ・観光客向けといった雰囲気のレストランでした。3とはいえ、高いといっても日本でインド料理店に行くのと大して変わらないくらいだったと記憶しています。ここでは結局パラクパニール(ほうれん草とチーズのカレー)とラッシーをオーダーしました。パラクパニールはシンガポールのパキスタンレストランでも食べています。ビジュアルは緑色でびっくりしますが、これが美味しいのですよね…

通称「ベビータージ」・イティマード・ウッダウラ廟

さて、お昼ごはんの後に運転手さんが最初に連れて行ってくれたのはタージ・マハルやアグラ城塞が面しているヤムナー川の対岸にある、イティマード・ウッダウラ廟です。こちらはムガル帝国第3代皇帝アクバルや第4代ジャハーンギールに仕えていた政治家、ミールザー・ギヤース・ベグの墓廟です。彼の娘のヌール・ジャハーンはジャハーンギールの妃であり、さらに孫はムムターズ・マハルという、皇帝家と関係の深い人物です。「イティマード・ウッダウラ」というのは彼の宰相としての働きに対してジャハーンギールが与えた称号で、「国家の柱」という意味だそうです。

この建物は彼が亡くなった後、娘のヌール・ジャハーンにより建てられた建物であり、その建築様式はタージ・マハルにも影響を与えたということで、通称「ベビータージ」と呼ばれています。確かに四方に塔(ミナレット)を備える白い大理石のお墓であり、サイズこそ違えど共通点があります。

こちらも屋内の見学が可能なのですが、入ったところでワンちゃんがスヤスヤと寝ていました。

こちらもタージ・マハルと同じくお墓なので、屋内には棺が備え付けられていました。

タージ・マハルに比べると更に古い時代のものであるということもあり、くすんでしまったり消えてしまったりしている部分もありますが、色とりどりの規則的な模様で彩られた天井や床、壁はなかなかの美しさです。

中をグルっと回って戻ってくると、入り口のワンちゃんは更にぐっすりと寝ていたのでした。

ちなみにこの廟の四方はこんな感じの門に囲まれています。この門もタージ・マハルの門にかなり似ていますね。

後ろからタージ・マハルを見る

次に連れて行ってもらったのはタージ・マハルとはヤムナー川を挟んで向かい合うメフタブ・バックです。本当に川を挟んでタージ・マハルの真裏に位置する庭園なので、ご覧の通りタージ・マハルをしっかりと見ることができます。

こちらの庭園にはこの赤い花が多く咲いていました。テイキンザクラという花のようです。

チニ・カ・ラウザを見学する

ヤムナー川を再び渡り、最後に訪問したのがこちら、チニ・カ・ラウザです。確か私の記憶が正しければ、運転手さんが「俺の友達が管理してるんだ!」と言っていました。このチニ・カ・ラウザはアフザル・カーン・シラーズィーという、シャー・ジャハーンの時代に宰相を務めた人物の墓だそうです。かなり朽ちてしまっていますが、このチニ・カ・ラウザの特徴は釉薬を使った色付きタイルでの外装であります。確かに彼より前の代の宰相であるミールザー・ギヤース・ベグの墓であるベビータージは白い大理石ですし、当時としては珍しかったのでしょうね。

内部はベビータージと同じように色とりどりの模様のドームになっています。ベビータージはそれなりに観光客がいたのですが、こちらはかなり観光客は少なめでした。調べるとそれなりに由緒ある建物であるのは事実なようですが…

さて、ここまで見た後はお約束中のお約束、お土産店攻勢がスタートです。大理石細工のお店に始まり、服屋x2、宝石店、物産店…といろいろ回りました。やれやれという感じですが、一通り見学はしたし、まあいいだろうとぐるぐると回りました。まあお店が涼しかったりするのでいいのですが、流石に飽きてきたので、列車の時間までは1時間半ほどありましたが、アグラ・カント駅まで戻るようにお願いして、代金を払って別れたのでした。

アグラからデリーに戻る

そんなわけで、アグラ・カント駅に戻ってきました。駅前にも牛がいます。電光掲示板もあるので、どのホームに自分の乗る列車が来るかは一目瞭然でした。

タージ・マハル観光の起点の駅とはいえ、駅前になにか商業施設があるというわけでもないので、おとなしく駅構内で待つことにしました。ホームはいかにもアジアの長距離列車の停車駅、という雰囲気でした。列車の長さが長いということもあってか、駅としてはなかなかの規模でした。

途中喉が乾いてきたので売店でスプライトを買いました。売店はなかなか充実していました。私は食あたりが怖いので利用しませんでしたが、水飲み場があったり、ラウンジ風の部屋もありました。

スマホをいじったり写真を整理したりして待ち、ようやく来た帰りの急行列車、Gatimaan Expressに乗車しました。帰りは1等車が売り切れだったかなにかで2等車にしたのですが、2等車でも結局座席は2-2の配置ですし、足置きも程よい位置にあり十分快適でした。もちろん現地ではこれでも十分高い運賃の列車ではあるのですが…

そして帰りも車内食と水の配給がありました。朝と同じでベジとノンベジからの選択式です。当たり前といえば当たり前という気もするのですが、主食の味付けはまあまあスパイシーでした。

帰りに乗車したGatimaan Expressは行きに乗ったShatabdi Expressと同じく、急行列車なので1時間40分でデリーまで戻ってくるそこそこ速い列車なのですが、デリー側の停車駅がニューデリー駅ではなく少し南のヘーズラット・ニザマディン駅なのでした。ここからはUberでも使って適当に帰ればいいか、と思ったのですが、駅前に出たところでなんとスマホが電池切れになってしまいました。Uberを使わずに長々とオートリキシャに乗ると現金でのやり取りになるし、いくらになるか読めないし面倒だな…ということで、最初は徒歩でメトロの駅を目指しました。結局道に迷ってしまったので適当なところでオートリキシャを捕まえ、この場所から最寄りのメトロの駅まで、とお願いして連れて行ってもらい、無事メトロを乗り継いでニューデリー駅まで移動することができたのでした。メトロのニューデリー駅に到着ということで、例によってまた国鉄のニューデリー駅の通路を通る必要があったのですが、今回は荷物が多くなかったこともあり、スイスイ通っていけました。

道端の食堂で晩ごはん

さて、そんなわけで駅からは徒歩で戻ってきたので、道中、ホテルのそばに出ているローカルな定食屋風のレストランで晩ごはんにしました。衛生面がちょっと心配でしたが、店頭に吊るされているチキンとスパイシーな香りに負けて入ってしまったのでした。そんなわけでこの日の晩ごはんはチキンカレーとチャパティ、さらにタンドリーチキンでした。チキンカレーは完全に地元の人向け仕様で激辛でした。タンドリーチキンはなかなかフルーティな味わいでした。いい経験ではあったのですが、振り返ってみると今回の旅行中で一番不衛生な感じだったのはこのレストランだと思うので、ここで晩ごはんを食べなければ帰国後まで引きずった消化器の不調に遭遇することもなかったのでは…とちょっと思うのでした。

翌日の朝にチェックアウトしてグルガオンに向かう予定だったので、ホテルに戻ってからは荷物を整理して、シャワーを浴びて寝たのでした。ビールでも飲むか…とも思ったのですが、近くにあったリカーショップはハードリカーばかり置いてあるような雰囲気で、冷えたビールがなさそうだったので断念して戻ってきて早々に支度をして寝たのでした。

以上、2019年9月インド・マレーシアの旅、アグラ編でした。大理石の壮麗なタージ・マハルがクローズアップされがちなアグラですが、個人的には教科書などで見たことがなかったアグラ城塞の方が見応えがあったという印象です。タージ・マハルは内部はそこまで歩き回るところがないから、というのもあるかもしれません。

次回はデリー&グルガオン編です。ニコ技グルガオン観察会の最中は隣接する地域であるデリーとグルガオンの間を頻繁に行き来していたので、まとめて一つの記事として書きたいと思います。お楽しみに!

 

  1. デーヴァナーガリーと呼ぶそうです
  2. 建設の順番としてはこちらが先です
  3. 運転手さんはどうするんだろう…と思ったのですが、バックヤードで待っていました。
公開日:2020/12/28 最終更新日:2020/12/29